| ■CNGS 管理本部中隊事務室 1月14日 10:00 早田秀夫本部長は、一通りの作業を片付けて身体を椅子の背もたれに預けた。 静かな室内に、端末機のキィを叩く音や電話の呼び出し音が時折響く。 いつもと変わり映えのしない光景を眺めながら、見たくない物を突っ込んである箱に手を入れると、一枚の書類を取り出す。 「………」 不機嫌そうに、書類を見ながら大きくため息を吐く。 「……何か気に入りませんか?」 声がかけられ、本部長の細い目が声の主をにらみ付ける。 運用管理幹部(運幹)、レイジ・サイファードだった。 茶褐色の髪をオールバックに撫でつけ、細い目を銀縁眼鏡の奥に隠し持つ、背の高い男だ。 本部長は、犬猿の仲と言われるこの男を一瞥すると、ふん、と鼻を鳴らしてそっけなく答える。 「別に」 「第四分隊がそろそろ定員充足するのでね。そちらの方に予算をまた回すことになりました。それに、第一分隊の再編成の為には武器や装備が大量に必要でしてね」 「……充分な量あるんじゃないのか? 少なくとも、第七分隊は必要数の1割を満たした程度だ」 「まだまだ必要ですよ。……少なくとも、女にしか扱えない、第七分隊の装備なんかよりずっと量が必要です」 「……ふん」 その一番下のところにサインを入れると、席の横にある決済箱に放り込む。 「だが、XP−11は試験運用を許可されてる。その為の予算も必要なんでね」 そう言いながら、本部長は別の書類を取り出した。 それは、第七分隊運用時の予算枠を拡張する為の書類だった。 「……なるほど、お互い必死という訳ですね、本部長」 懐に手をやると、運幹は煙草入れを取り出し、紙巻きを一本取り出す。 ライターを捜すようなそぶりをしながら、とぎれた会話を再開するように口を開く。 「……現場は武器を、そして人員をもっと必要としてるんです。特殊戦力を増やすよりは、通常戦力の補充が目下の急務ではないですか」 「だが、彼女は……ディーは、たった一人で一個分隊分の働きをしてみせたぞ」 「偶然ですよ。相手は学生だ。それに、コンビニはほぼ全損……被害が大きすぎます」 「それは彼女の所為じゃないだろうが。君の自慢の『通常戦力』ならたしかにもっとスマートに事を運んだかもしれん。だが……」 本部長がライターを抽斗から取り出して机の上を滑らせる。 運幹はそれを手に取ると、煙草に火をつけ、煙を吐き出す。 「……だが、な。ディーはその場に居た全員、殺さずに捕らえたぞ。強化人間は元に戻れるか正直わからんが」 「…………それは認めますが」 煙草の煙をさらに吐いて、運幹が窓辺へと歩み寄る。手には、本部長がサインしたばかりの書類を手にしていた。 本部長はその様を眺めながら、腕組みをしたまま何も言わない。 じっと書類に目を通していた運幹は大きくため息を付いて、書類を決裁箱に戻す。 「……いずれにしても、現状の成果でこの予算が確保できるとは思いますまい?」 「まぁな」 「そして、唯一の隊員は今は寝込んでいる訳です。この書類自体、必要ないのでは?」 「……そうでもないさ」 本部長は椅子を回転させると、顔を運幹と反対側へと向ける。 「……優秀なんだよ、ウチの隊員はね」 ■CNGS 管理本部医務室 1月14日 11:00 「ディー!!」 ドアを開けて飛び込んできたのは、いつもと同じ顔……勇人だった。 ディーは、たたみかけのシーツを片手に、入り口に向き直ると、一瞬驚いた顔をしたものの、入ってきたのが勇人だと知ると安心したように微笑んだ。 ディーは、薄いブルーのノースリーブシャツを羽織っていた。裾が丁度膝上数センチまでを隠すほどだぼついており、動きやすい事から彼女は療養中ずっとこの格好だった。 最初のうちは、目のやり場に困るこのスタイルに戸惑っていた勇人だったが、その内側にはプロテクトスーツのインナーを着込んでいる事が判り、更に彼女自身がそのことに関してオープンな態度を取っていたので徐々に気にせずに彼女に接する事が出来るようになった。 インナーを着込んでいるのはいつでも出動出来る様な状態で居たいからだと、彼女は語った。 「……このインナーを触媒にプロテクト・スーツのオプションプログラムをダウンロード出来るんです。ですから、いつでもあの姿に変身可能です」 「変身……か。なんかTVのアニメみたいだな」 「ええ、私も良く見てました」 笑いながら彼女は語ったものだった。 今、彼女はその二本の脚に包帯を巻いたまま、この病室を後にすべく片づけをしているのだった。 「分隊長……勇人さん、ご迷惑をおかけしました。もう歩けますから、後は徐々に治していきます……」 「完治させた方がいいんじゃないか?」 「いえ、大丈夫です。……それに……」 笑いながらディーは、たたんだシーツをベッドの一角に集めて積み上げる。 「……それに、身体を動かさないと。プロテクトスーツとの同調度も下がってしまいますから……」 シャツの裾からのびる、スラッとした脚には包帯が巻かれており、痛々しい印象を与える。 まだ、彼女の傷は癒えては居ないのだ。 「ディー、あのな……」 勇人が一瞬、その白い脚に釘付けになりそうな目を引き剥がしながら、言いにくそうに言葉を繋ぐ。 「今のところ俺達は待機中なんだ。怪我はちゃんと直した方がいい。もう少し休んだらどうだ?」 勇人の言うことは嘘ではない。実際、第七分隊は待機せよと指示を受けていた。もし出動要請があれば、勇人自身が出るつもりでいたのだが、幸いこの3日ほどは、出動要請はかかっていない。 「……勇人さ……」 親しげに名を呼びかけたディーが、一瞬躊躇った後ですぐに言い直す。 「分隊長、心配してくださって本当に嬉しいです。でも、こうしている間に私達を必要としている人たちはどんどん増えていくはずです」 「……ディー……」 「参りましょう。……まずは、開発部から。今回の戦闘データの検討をしたいと依頼があったんでしょ?」 「よく知ってるな……」 驚いた勇人が、ポケットからその書類を取り出し、ディーに見せる。 「まぁ、正直言うと今日ここに来たのは、この場所を君に聞きたかったってのもあるんだ」 簡単な説明はされていたが、知らない人間にはよく理解しがたい説明の仕方……。 「……はぁ、相変わらず……説明のしかたが下手なんだから……。それじゃ、参りましょう、分隊長」 「え?」 「開発部ですよ。早く行ってさっさと終わらせてしまいましょ」 「君も来るのか?」 「ええ、データを一番持ってるのは私ですから」 微笑みながら、彼女はハンドバッグを手に取る。 病室自体はもう片付けられていた。 ジーンズを履き、シャツのボタンを留め、ジッパーを上げる。 さすがにその動作をしている間は勇人は部屋から出ていた。 やがて、シャツとジーンズに身を包み、行動的なスタイルを取った彼女が病室内から現れると、勇人は彼女について歩いていく。 「……全く……。何回言ったら判ってくれるのかしら。これじゃ知らない人はたどり着けないわ……」 「前からこうなのかい?」 「ええ。だって……私は元々あそこでスーツの同調試験を行ってきたんですから……」 「ああ……」 一瞬、奇妙なことに勇人は嫉妬に近い感情を持ったことに戸惑った。 初日のショッキングな出会いから、ともに戦い、傷ついた彼女を何度となく見舞い、彼女から様々な話を聞いていた事もあり、彼女ともっとも親しい男だと勘違いしていた節があった。 「……やっぱり……。辛かったか?」 「辛くはないです。私は、私を必要としてくれる人が居ることが嬉しいんですから」 「そういうもんか?」 「ええ。あ、あの看板は覚えて置いてください。目印です」 指差す先にある、購買部の看板を眺めながら、その看板のある交差点を左に曲がる。 管理本部自体が巨大な構造物だけに、その中の廊下はだだっ広く、確かに勇人一人では迷っていたであろう事を彼は認める。 「怪我は本当に大丈夫なのか?」 「心配してくださるのは嬉しいです。でも、分隊長、私の身体の事は私が一番良く知ってますから。……それに……」 「それに?」 「私、こう見えても昔はすごくやんちゃで……よく怪我をしては母が嘆いてました」 「……へぇ……」 「だから、今でもこういう格好して……。色気が無くて」 はにかんだように笑うディー。 「そんな事ないさ。いつも颯爽としてて、結構もてたんじゃないか?」 「……学生時代は……女子校でしたから」 苦笑いするディー。さぞや後輩達のあこがれの的になったであろうと、思わずつられて勇人も笑っていた。 「あ、そこ、右。で、その突き当たりです」 「なるほど。もう一回ぐらい案内を頼みたくなるな」 「かまいませんけど、とりあえず覚える努力をしてくださいな」 「わかった。善処しよう」 その言い方が可笑しかったのか、くすくす笑いながらディーが勇人の腕を取る。 「さ、参りましょう、勇人さん」 再び、彼女の勇人に対する呼称が変わる。 負けた……と思いながらも、勇人は彼女の後をゆっくりとついていった。 ■CNGS 開発部 第三開発室 1月14日 11:30 木製のドアがコンクリートの壁に埋まっている……。 勇人が見た開発室の印象はまさにそれだった。オート・ドアが全盛のこの時代に、何を好んでこんなレトロスペクティブなドアを取り付けてあるのだろうか? 「これが開発室です」 説明書きだけを頼りにしてここにたどり着いたとして、おそらくこれが開発室だとは思うまい。 「よくここまで迷わずに来れるもんだな」 「ええ。さっきも言いましたけど……私は、ここでスーツの同調試験を受けたりしてたんです。だから……」 「第二の故郷?」 「そんな感じです」 またもくすくす笑いながら答えたディーが、咳払いをしてまじめな顔になると、ドアをノックする。 ごとん、とかバサバサ、という音が室内で響き渡る。 まるでお約束のような展開の後に、開いたドアから覗いた顔は、これまたお約束のように無精ひげと乱れた髪をなでつける事を放置した、白衣の男性だった。 「……どちらさん?」 まだ50には届いていないであろう。髪こそは白くなっているが、目の色がまだ若い。 そして、その顔立ちに何かしら感じるところがあった。 何か、彼とは初めて会った気がしないのだ。 「……ああ、ディーか」 「はい。あの、分隊長をお連れしたんです」 「……分隊長……おぉ、そうか。間宮分隊長だね。で、何処に?」 「あ、あの……」 目の前に居る自分を捜されるのは奇妙な気持ちだ。 「……自分が、第七分隊長、間宮勇人であります!」 気をつけの姿勢をとって答える勇人。 唖然としたように、研究者は勇人を眺めていたが、やがて少し顔をほころばせる。 「……ディー、第七分隊長って、男じゃないか」 「そうですけど……」 「驚いたな。女性のみの分隊の隊長が男とはね。まぁ、入りたまえ」 研究者が身体をずらして道を譲る。 ディーと勇人が並んで室内に入ると、巨大な機械が並んでまるで通路のように入り組んだ室内を、一列になって進んでいく。 「……そこを、左」 研究者は後ろから指示を飛ばす。 今度はこのオッサンか……。心の中で呟きながら、ディーと研究者の間に挟まれ、勇人は早足で歩いていった。 ディーはまるで最初から知っていたかのように……否、知っていたのっだろうが……研究者の示す場所へと足を運ぶ。 「……あ、懐かしい」 その部屋に入ったとき、彼女が発した言葉はそれだった。 幾つかの機材に混じって、机が埋もれるように置かれており、それを引っ張り出した研究者が、珈琲のシミの付いた表面を大きく袖で撫でた。 「あー、珈琲でいいかね?」 「は、はいっ」 「緊張しなくていい、えっと……」 「間宮勇人分隊長です」 「そうそう、間宮君。私は……」 珈琲を淹れた紙コップを机に置きながら、胸にピンで留めてあるIDカードを差し出す。 「……ラー・エクセレージ、XP−11の開発主任をさせていただいている」 「XP−11??」 「おいおい、君は部下の事を何も知らないのかね? てっきり、勉強はしてきているものだと思ったんだが」 意地の悪い教師が、できの悪い生徒を諭すような口調で、ラー主任は講義を始める。 「……XP−11というのはマテリアルだ。君たちCNGSの隊員はP−10というマテリアルを身につけているだろう?」 「あ、はい、判ります」 「XP−11は、ディーの身につけているスーツを構成するマテリアルの名前だよ。わずかな量で驚くほどの性能を発揮する、次世代用マテリアルだ」 「……プロテクト・スーツのことなんですか?」 「その呼称は君たち実戦部隊がつけた名前だ。君は実戦部隊に居たことは?」 「もと第一分隊に居ましたが」 一瞬、勇人の顔が歪むのをディーは感じた。 彼女が入院中にも、なんどかこういう事があった。その理由の一端が見えた気がして、彼女は少し暗い面もちで会話の成り行きを見守った。 「なるほど。なら、わかると思うが、『装備』をダウンロードして物質化する時に、使っていたモノが有っただろう?」 「……はい、XP−11も、それと同じモノなんですか?」 「そうだ」 今度は物わかりの良い生徒に満足した教授の表情で、ラー主任は珈琲をすする。 「XP−11は、従来のマテリアルに比べて圧倒的な質量を持っている」 研究者が成果を語るときの、得意げな顔になって、彼は言葉をさらに続ける。 「あの薄いスーツは、毎秒億単位の粒子を展開させる事で張られる防護フィールドと、スーツが稼働する事によって発生する二次フィールドで保護されている。さらに……」 一息ついて珈琲をすする。 「あのスーツ自体は、9mm拳銃の弾丸を止める事が出来る。更に、ビーム系兵器はよほどの威力が無い限り防護フィールドと二次フィールドで消散してしまうし、レーザー系兵器はあのスーツ自体が光学反射能力を持っているので無効だ」 「……驚きました……」 「もちろんだろう。それに、だ。あのスーツを着用すると、強化人間でしか実現出来なかった網膜投影情報システム、脅威警戒センサーなどを身体にマッチングさせる事も可能だし、その上多少のフィジカルブーストもかけられている」 「フィジカルブーストとは?」 「肉体的補完……とでも言おうか。センサーによって与えられた情報と自分自身の目で得た情報、それらを持ってしても肉体が動かなければ意味がない。それを補完する為のものだ。身体の動きをアシストしていると思えばいい」 勇人が、口をあけたまま驚いたようにディーを見る。恥ずかしそうにうつむいた彼女は(彼はこんな彼女を初めて見たように思った)、そのまま珈琲カップの表面を見つめていた。 「そして、それらはあの薄いインナーとスーツのみで行われている。武器の情報も今までのように『ダウンロード』するのではなく、マテリアルに既に『プログラム』されているのだ」 「……ということは、相手のジャミング下での戦闘でも、武器の換装が可能という事ですか?」 「うむうむ。君も実戦部隊に居たなら、それがどれほど心強いか判るだろう?」 「はい」 得意満面の主任。彼は、おそらく自分の成果を話すときには我を忘れるタイプなのだろう。 あまりに嬉しそうなので、彼はこれから話すことが彼にどういう影響を与えるか心配せざるを得なかった。 30mm砲弾の衝撃や運動エネルギーが彼女の身体にどういう影響を与えたか。 スーツ自体は無傷だったし、フィールドはちゃんと働いた。だが、熱エネルギーと強烈な運動エネルギーは、彼女の体中に打ち身と火傷を与えていた。 それらの内容は、勇人には知らされてはいなかったが、幾度と無く重傷者を見てきた勇人には容易に想像出来る。 彼女の傷は、彼女自身が言うほどに軽いものでは無いはずだ。 「……よし、では伺おうか。間宮勇人分隊長。……実戦での、プロテクトスーツPSP−001の能力はどうだったかな?」 「実戦での動きは彼女……ダイアモンドに報告して貰います。私の所見からすると、このスーツは些か防御面に不安が有るような気がします」 勇人が席を立つ。 ブリーフィングの時の癖で、彼は発言するときには立って発言するようになっていた。 「今回、彼女は単身で重機関砲を装備した機動歩兵を相手に、五分以上に戦い、結果としてこれを撃破しました。また、人質を流れ弾から守るためにその砲撃をまともに食らいました」 「…………」 「そして重傷を負いました。辛うじて、ぎりぎりの所で人質が逃げ出し、私は犯人を狙撃する事で事なきを得ましたが、その時点でダイアモンドの戦闘能力は既に失われていたと考えます」 「……分隊長、それは……」 発言しかけたディーの言葉を遮ると、勇人は言葉を続ける。 「現に彼女は、全治3日の怪我を負いました。……この点をどうか考慮して頂きたい」 「相手の機関砲は口径何ミリだったかね?」 「………」 「ディー」 「30mmでした。ですが、スーツとフィールドはその役目をちゃんと果たしてます」 「……そうだろうな」 ラー主任が頭をかきながら彼女を見る。 「……間宮君。君の報告は非常に貴重な意見だと思うが……。実際の所、ディーがどう戦ったかを聞きたい」 「………私の所見は今申し上げたとおりです」 「診断書は貰ってきてるかね?」 「はい、ここにあります」 差し出した茶封筒には封印がされており、それをはがしたラー主任は中のカルテを取り出して確認する。 ほんの少しの間カルテに目を走らせた彼は、やがて首を左右に振って書類を彼に差し出す。 「……打ち身、それに軽度の火傷、か。だが、実戦に出ているのならこのくらいの怪我はするもんじゃないのかね?」 「ですが、可能な限り安全を確保するべきです」 勇人がカルテを手に取る。 内臓損傷こそなかったが、酷い打撃を受けた事による発熱、炎症、それに内出血などが認められていたはずだ。 それなのに、カルテにはただ、打ち身、軽度の火傷数カ所としか書かれていない。 そして、その下には彼女を担当していた医師のサインが記されていた。 「随分はしょった診断書ですね」 「……間宮君、これはちゃんと彼女の担当医師が出した物だ。医者でもない君がそれに文句を付けるのは筋違いではないかね?」 「……ですが!!」 「間宮君、君がディーの……私の娘を心から心配してくれているのは非常に嬉しい」 「なっ?!」 驚いた顔でディーを見る勇人。ディーは相変わらず所在なげな顔で珈琲の表面を見つめたまま動かない。 「……それは……申し訳ない、知りませんでした」 「だろうな。だが、それはかまわん」 そこで一度言葉を切る。 「しかし、私の娘は自らの意志でこのジュエル・ボックス計画に参加しているのだ」 「……それは判りますが……」 「彼女自身、私が作り上げたこのスーツの力で、人々の役に立ちたいと真剣に願って今の職に就いているのだ。……どうかそこを汲んで貰いたい」 「………」 「病院のベッドに縛り付けるのも君の役目なのだろうが、彼女にはそれが苦痛だという事を判ってやって貰いたい。そうだね?」 最後にディーの方に同意を求めたラー主任は、ディーが黙ったままうなずくのを待って話を続ける。 「彼女は大丈夫だ。まだ戦える……そうだな? ディー」 「はい」 ディーが漸く顔を上げ、返事をしてうなずく。 「判りました。そういう事なら、俺も彼女の意志を尊重します。ただ……」 「うん、判っている。防御面に関しては再検討しよう。30mm砲弾を相手にしたのであれば、確かにただでは済むまいからな」 「それと……」 ディーが立ち上がると、父親の方に発言する。 「あの、近接戦闘での事なのですが、音による精神集中破壊のジャミングがありましたよね?」 「ああ。たしかCNFの連中が開発したモノだな」 「それはどういうものなんですか?」 「……君はなかなか好奇心旺盛だな。勉強熱心と言うべきか」 笑いながら、主任は部屋の奥へと引っ込み、出てきたときには数センチ平方の四角い箱を手にしていた。 「これがそうだ。ヘルツァパラライザと呼んでいるが、スイッチを入れると……」 主任が機械を操作すると、とたんに勇人の頭に甲高い耳鳴りが響き渡った。 「う……な、なんです、これ……」 「元々は、もっと強力にして近くにいる生き物を無力化する、一種の音響兵器だ」 「………と、止めてください」 主任が再び機械を操作してその動作を止める。 「人を麻痺させる位の音を出すと一回切りで終わってしまう。だが、このくらいの出力で使用するだけで、半径4,5メートル程度の距離で、人間の集中力を破壊する」 「………………」 「つまり、CNGSのプログラム・ダウンロードを封じることが出来る訳さ。精神を集中して、武器のイメージを『ダウンロード』しなきゃいけないんだが、それを妨害できる」 「……対CNGS兵器って訳ですか?」 「だが、さっき言ったとおり距離が限られている。しかも使えてせいぜい連続1時間だ」 「……1時間あれば、接近戦では十分勝負がついてしまいます」 ディーが再び口を開く。 「そして、残念ながらこれの対策は出来ていませんでした。幾ら集中しても、武器のイメージが作り出せませんでした……」 「……ふむ……」 「これは、私自身の訓練でも何とかなると思います。ですが、格闘戦闘および近接戦闘型のスーツを開発する際には、対策を考えた方が良いかと思います」 「……ふーむ……」 ラー主任が考え込んでしまう。 何度か紙に何かを書き込んでは消し、書き込んでは消しを繰り返していたが、やがて、大きくうなずいて言った。 「わかった。対策は考えておこう」 立ち上がったラー主任は、少し考え込むと勇人に向き直る。 「間宮君、とりあえず、今日はこれで結構だ。あと、ディーはもう2,3日お借りする事になるが、大丈夫かね?」 「は、はぁ、今のところ特に急ぎの用もありませんから……」 「うむ。スーツを少し再調整する。復帰するときには、今回よりは楽になっているはずだ」 「はい、お願いします。………俺も、大事な部下を危険の中に送り込むようなことはしたくないですから」 「……良い心がけだ。……これからも娘をよろしく頼む」 …………開発室を出ていく勇人を見送り、ディーは再び父親の元へと歩み寄る。 勇人も、久しぶりに父上に甘えてくると良い、と言い残して去っていき、ディーはその言葉に苦笑いを返すことしか出来なかった。 もっと器用に、嬉しそうな顔が出来れば良かったのに、と思う。 彼女が上手く人付き合いが出来ている様に見えるとしたら、それは多分に彼女の努力の賜だろう。 「……お父様、戻りました」 「ディー、丁度いい、そこに座りなさい。インナーは着ているね?」 そう言いながら、ペン先で大きな椅子を指さす。色々な機材のついたそれは、彼女が今まで何度となく座ってきた物と同じ物……。 彼女が頷くと、父親はまたキーボードとモニターに向き直ってしまう。 父親の背中越しに、苛立った声が聞こえてくる。 「……再調整しよう。あの分隊長には、二度とあんな事は言わせんぞ」 「ごめんなさい、お父様……」 「謝る暇があったら座りなさい。時間は一秒でも惜しいんだ。さ、インナー一枚になって座って」 ディーが寂しそうな表情で椅子に座る。 大きな椅子は革張りで、両腕を肘掛けに固定出来るようになっている。 主任は手際よくコード類を彼女の身体とインナースーツに取り付けていく。 両脚や腕に巻かれた包帯や、インナースーツの下にあるいくつかの痣には目もくれず、ひたすら自分の仕事に没頭する。 そういう父親を昔からずっと見てきたし、彼女はその父親の為にがんばろうと決めていたのだ。 「よし、ディー、スーツ稼働」 「はい……っ」 目を閉じて精神を集中する。 インナースーツの表面に粒子が収束し、純白のドレスのようなスーツが彼女に装着される。 肘掛けに両腕を固定する。その時になって初めて、父親はその腕に巻かれた包帯に気が付いたのだろう。 「……ディアナ……」 長らく呼ばれていない、自分の本名を呼ばれ、ディーがわずかに動揺する。 「……随分辛い思いをしているな。相変わらず不器用な事だ……」 包帯とプロテクトスーツ。 もう出血は無いので、包帯は純白のままだし、彼女用のプロテクト・スーツは純白……ダイアモンドの高潔さを意味すると言う……である。 スーツは、胸の半ばからへそのやや下あたりまでをカバーしており、腰の両側から横に、薄いヴェールの様な素材が、身体の側面をカバーしている。 インナースーツの方が、スーツより若干大きい。乳房の半ば以上を覆っている部分と、へその下からハイレグ・カットになった足の付け根までの部分が露出する。 マテリアルXP−11の絶対量の不足、そして運動性能の確保の為、スーツとして使用されるマテリアルは少な目になっている。 このきわどいコスチュームの理由がそんなところにあるとは、ディーはもちろん、本部長にすら知らされていない。 ラー自身、予算を確保するために何度も掛け合っているのだ。 彼とて自分の娘を好きこのんで危険な目に遭わせたいとは思っていないのだが……。 「……うん、とりあえずは防御面の強化だが……」 「お父様……」 「接近戦ではもっと防御面と機動力を高めるべきだな。それに、センサーの反応も少し考えなくてはな」 ディーは目を閉じた。作業に没頭しだした父親を、責めるでもなくただ言われるとおりにデータを与えていった。 ■第七分隊司令室 1月14日 13:00 静かな分隊司令室の机に、勇人はビニール袋を置いた。 購買部で買ってきた弁当である。 昼をすぎて流石に腹が減ったので、開発室からの帰りに買ってきたのだ。 冷蔵庫を開け、お茶を紙コップに注ぐ。 効率が悪いからやめなさいとディーに何度か言われたのを思い出した。 「……ま、もう少しはゆっくり出来るかな?」 Sα8シャードの治安は、お世辞にも良いとは言えない。 それゆえ、こうしている今も緊急コールが鳴り響く部屋もあるのだろう。 だが、この部屋にはコールは来ない。出動する隊員が居ない部屋にコールが鳴っても仕方あるまい? 購買部の弁当は、安いのだがあまり種類がない。その為、似たようなものばかりを食べることになる。もっとも、勇人自身はあまり食事に飽きるという事をしない人間なので、充分事足りている。 「………どれどれ」 勇人が、机の上からファイルを取り出す。 隊員候補の名前が連ねられており、その先頭にはディーの名前がある。 『ディアナ・エクセレージ』 ……ディーの本名はディアナ。ダイアモンドというコールサインでも、本名でも、同じあだ名が使えるのだろう。 父親が開発主任である、という事……。 彼女があれほど、療養期間を嫌がったのも解る気がした。彼女が寝込むという事は、それだけあのスーツの安全性に疑問がもたれるという事なのだから。 けなげなものだ、と勇人は思う。 自分自身の怪我を隠して、父親の名誉のために戦う……最近聞く話ではないような気がした。 ■CNF Sα8シャード 第二駐屯地 1月14日 13:10 「……だから、侵入者は10人以上居たはずなのに、一人も捕まってないんです」 苛立ちを隠せない警備部隊指揮官の声が、オフィスに響き渡る。 誰もが、その声を聞かないようにしようと決めたかのように、目の前の自分の書類に専念する。 「ええ、ええ、そうです。ですから、おそらく彼らの目的はまた機動歩兵データの強奪……だと思います」 額の汗をハンカチで拭いながら、警備部隊指揮官は窓から外を見る。 寒い室外では、部下達が未だに捜索活動を行っているのが見える。 あちらに右往、こちらに左往している様は、まるで犬が餌を求めてうろついているように見える。 部下達のそんな姿を見ると、彼の苛立ちが一層募っていく。 「ええ。機動歩兵データが2名分奪われてます。……3中隊の連中です。昨日しこたま酒を飲んだ所為でたるんでたんでしょう」 数人の部下達が、あからさまに彼の視線を避けて部屋から出ていくのが見えた。 一体どうなってしまったんだろう? CNFはこんなに無気力な組織ではなかった筈だ。もっと、精力に満ちあふれた、気力にあふれた部隊だったではないか……。 「ですから、機動歩兵データの奪還と、それと……兵器庫から、3丁の『Eハンガー』が盗まれてるんです」 部下の一人がメモ用紙に何かを書いて彼の机の上に置いていく。 それを拾い上げると、再び受話器に向かって言葉をつなげる。 「いや、4丁です。下手をするとアレでこちらの機動歩兵がやられるかもしれません。いいですか、一刻も早く奪還を……」 だが、彼の言葉が途中で遮られる。 電話の相手が言った言葉は、彼にとっては屈辱的な事だった。 「黙ってろと?! これだけ派手にやられて、黙ってろと言うんですか?!」 彼は思いだしていた。強化データだけを奪われ、人格を維持できなくなった二人の兵士の姿は、見るも無惨なものだった。 二人は治療施設へと送られるが、治る見込みは、このシャードから『バグ』の連中が居なくなる確率よりずっと低いだろう……。 「被害は機動歩兵データ二機分、そしてEハンガーが4丁です。とにかく、CNGSに依頼して………」 上司が渋っているのは、彼にも充分解っていた。ここでCNGSの支援を受けるという事がどういう事か、彼にも解っていた。 そうでなくてもこのシャードを見捨てようとしているCNFである。そのCNFがCNGSに支援を依頼すれば、面目を完全に失うことになる。 だが……。 「いいですか? もうメンツがどうのとか言ってる暇はないんです! あれが市民に向けられたらどういうことになると思うんですか??」 苛立った上司が反論してくる。だが、その反論を途中で遮って、彼は言葉を続ける。 「我々はCNGSに、奪われたデータと武器の回収を支援して貰うべきです。我々だけで奪還する戦力はもうありません」 部下がまた二人、部屋から出ていくのが見えた。窓の外を眺めていると、その部下達が捜索をしている警備部隊の連中と合流し、煙草を吸い始めたのを見た。 一瞬、窓を開けて怒鳴ってやろうかと思ったが、すぐに思い直した。 彼の部下達だ。文字通り死を意味するような任務に赴けと言える訳がない。 「……ともかく、支援がないなら我々は動きません。いや、動けないと言いましょう。支援の約束を取り付けたら連絡を下さい。いいですね」 一方的に電話を切ると、彼は窓の外から目を引き剥がした。 煙草を手に取ると、火をつけて椅子の上に鼻息も荒く座り込んだ。 まったく、どうなってしまったんだ、この組織は。 ■CNGS管理本部購買部前 1月14日 15:00 「……どれにすっかな」 自動販売機の前で、勇人は悩んでいた。 昼のこの時間、書類仕事に一段落つけた彼は、休憩を兼ねて購買部へと足を運んでいた。 丁度新発売になった炭酸飲料には心惹かれていたのだが、新製品を買うときには独特の緊張感が伴う。 もしはずれだったら……そう考えると、どうしても二の足を踏んでしまうものだ。 「……人類の歴史は挑戦の歴史だった。今、ここに俺が居るのは、常に新しいことに挑み続けてきたという実績があるからに他ならない」 「ちょっと、兄ちゃん、買うならさっさとしておくれ。そんなところでブツブツ言われてると仕事の邪魔だよ」 「……………」 コインを握りしめたまま力説する勇人を、まるでハエを追うような勢いで店主が追い払う。 仕方なしに、覚悟を決めた勇人が缶に入った飲料を買い、司令室へと踵を返す。 「……大体、このニンジンエキス100%の炭酸飲料って、気持ち悪すぎるぞ……」 角を曲がり、エレベーターの前に立つ。 午後のこの時間に警邏に出る者達。 立ち番の交代。住民達の苦情に対処する為に出ていく者達。 あらゆる動きを眺めながら、勇人はエレベータに乗り込み、4階のボタンを押す。 直通エレベータはあるにはあるが、出動時の為にあけておく決まりになっている。 「あ、ま、まってくださぁい!」 それが自分に向けられた言葉だと理解した彼は、素早く「開」のボタンを押す。 閉じかけた扉が一瞬躊躇い、それから重々しい音を立てて開く。 「……ありがとうございますぅ」 入ってきたのは、小柄な女性だった。 薄紫色の髪の毛を止めている赤いヘアバンドが印象的で、髪は肩の上で切りそろえられている。 額があらわになっており、走ってきたのか一筋流れた汗をハンカチで拭う。 背の低さ、華奢さ、そして顔立ちから、まだ年端もいかない少女の様な印象を与える。 ミントブルーのスーツを着ていなければ、学生と見間違える事もあるだろう。 自分の身体がすっぽりと収まりそうな、巨大な(相対的に)スーツケースを引きずるようにして、エレベータの中へと飛び込んでくる。 「えっと、何階?」 「4階をお願いしますぅ」 4階……それは彼が押してある行き先だった。 何も言わず、そのままエレベータは上昇していく。 ブザーが鳴り、ドアが開くと彼はドアの安全装置を抑えて彼女を通してやる。 大きなスーツケースを、やはり引きずるようにして彼女が降りる。 後から、勇人がついて降りると、彼女は一枚の紙を目の前にして首を傾げている。 「……えっと、何処にご用かな?」 勇人が声をかけると、彼女は顔を上げて勇人の方を見る。 返事を待つ勇人の目の前で首を傾げ、勇人を見ながらじっと何かを待っているかのように、たたずんでいる。 「え、えっと、君……」 「あ、はい、CNGS分隊司令室ってどちらですか?」 「へ?」 「………?」 「いや、あの……」 「あ、ですから、分隊司令室を探しておりまして……」 「分隊司令室って……何処の?」 えーと、と首を傾げた少女が、ややあって答える。 「女性隊員で構成された分隊といえば、第七分隊ですわね」 唖然とした顔で、勇人は目の前の少女を見た。 身長は140〜145cmといったところか。180cmある彼から見れば、文字通り少女にしか見えない。 そんな彼女が、自分の分隊に何の用か? ……考えるまでもない。 「……君が………第七分隊の……」 「はい」 やりとりが止まる。 何かを言いかけようとした勇人が、口を開くと同時に少女の口が開く。 「えと、アメリア・スタッカートと言います。……えっと、ガーネット……と申し上げた方がよろしいでしたか?」 「あ、ああ。って……、ガーネット………??」 勇人が、素早く頭の中で彼女の役割を思い出す。 犯人との近接格闘を担当する、前衛の一人である。 ファイルによれば、接近戦……こと、格闘戦において無類の強さを発揮するといわれており、その人員は格闘戦のエキスパートだという。 「………えきすぱーと?」 「………?」 「いや、……き、君が……ガーネット?」 「……?」 首を傾げる少女。間違えたのか? と思って勇人が確認しようとすると 「はい、私がガーネットですわ」 またもワンテンポ遅れて答える少女。 流石にこうもペースを乱されると、流石の勇人も頭痛がしてくる。 「あー。とりあえず案内するよ。ついてきて」 「…………?」 「ほら、カバン貸して……」 「どちらへ??」 がく、と膝から力が抜ける勇人。 「だから、分隊司令室だってば」 「………?」 「分隊司令室。君はそこに用事があるんだろ?」 「………ええ、ですが……」 カバンを持つ手を見てから、またも小首を傾げる。 「そこまでなさってくださらずとも、私、自分で行けますわ」 「いいんだ」 勇人が、彼女に手を向けながら言った。 「……第七分隊へようこそ、ガーネット」 ■CNGS第三開発室 1月14日 22:45 「よし、ディー、いいぞ」 ラー主任が最後のデータ入力を終えると、キーボードから振り返る。 赤い顔をしたディーが、両腕を固定していたアクリル製のベルトを解かれると、心底ほっとした顔で、父親に頭を下げた。 「あ、あの、少し失礼します……」 慌てて部屋を出ていく娘を見送りながら、ラー主任は助手に片づけの指示を出す。 今日の実験と調整は終わりだ。 「……あの、主任………」 入ったばかりの、新人助手、カレン・フォートランがおずおずといった感じでラー主任に声をかける。 「お、どうした、カレン君」 「あの……もう少し、娘さんの事を考えてあげてください、主任……」 「うん? どうかしたのかね?」 「だって……。あの椅子に6時間以上も縛り付けてあって、その間休憩は一切無しなんです。それに……」 顔を赤らめて、カレンは手元のバインダに目を落とす。 主任は何も答えずに彼女の方を見ている。 性根の悪い主任ではないのだ。単に、研究熱心過ぎるだけだ……と彼女は言い聞かせる。 だが、上司の所行に口を挟むのは誰にとっても容易なことではない。 「どうしたんだい、カレン君? 何か……気になることでも?」 「その、あれ……です」 とうとう覚悟を決めたカレンが、ずっとディーが拘束されていた椅子を指さす。 「両腕を固定して、電震を取るのは解ります。それに、幾つかのコードははずれやすいのは解るんですが……両手両脚を完全に固定してしまっては、気の毒です」 「仕方ないんだ。VRSシステム(仮想現実感応システム)を利用するためには、ああしないと危険だからな」 「だったら、1時間に一回ぐらい休憩させてあげてください!! 彼女……顔を真っ赤にして耐えてたのに……」 「時間が勿体ないのだ!! 彼女は、一刻も早く現場に復帰せねばならない!」 カレンが息を呑む。普段の暢気な態度がどこかへ吹っ飛び、焦りと怒りがむき出しになった主任を、彼女は初めてみたのだ。 すぐに、主任は平静をとりもどす。 「……ああ、そうだな。次から、少し休憩を入れるようにしよう。……だが……」 「………はい……」 「……だが、彼女にしても、私にしても……いや、ここにいる全員に取って大事なことがある」 真剣な表情でカレンに語りかける主任。まるで、残り全員は既に知っている事であるかのように、誰もが無関心を装いながら作業を続ける。 「……そして、それは、このシャードに住むすべての人たちに関わる事だ。我々は必要とされており……そして、そうである限り誰かが何かを犠牲にし続けなくてはならないんだ」 「………それは……」 彼女には、いまいちその事が理解出来なかった。 ただ、父親の為にけなげに耐えているディーの姿は、彼女にとって正視に耐えうるものではなかったのだ。 気が付くと主任は彼女の側を離れ、機械とクリップボードに書かれた数値と格闘を始めていた。 ふと、彼女が目を向けた、革張りの椅子はじっとりと汗で濡れていた。 ディーが拘束されていたのは6時間以上。 VRSと呼ばれる機械を使い、仮想現実空間で彼女は実戦と同じ訓練を受けていたのだ。 この椅子に身体を完全に固定し、神経系に偽の情報を送り込む事で、彼女の運動能力とスーツとの同調を取ることが出来る。 広いテスト場が無くても、この機械があれば実戦と同じ条件でテストが行える……画期的な物であることは間違いない。 だが、それでも、ディーという、まだ若い女性がこの椅子に拘束され、身体を激しくのたうたせながら(神経に送られてくる刺激は、筋肉を不意に痙攣させる)、その光景を眺めながら誰もが自分の仕事だけをこなしている……。 その光景は、中世の魔女への拷問に似て、何かしら彼女には嫌悪感を持たせる。 雑巾を手にして、椅子の上の汗をふき取っていく。 被弾をシミュレートしたとき、大きくのけぞったディーを見た。 近接戦闘での動きを何度もシミュレートしていくと、徐々に彼女の痙攣が弱っていくのが解った。 「あ、あの……」 背後で声が聞こえ、カレンははっと顔をそちらに向ける。 さっきまでこの椅子に座っていたディーが、恥ずかしそうに彼女を見ていた。 「そ、掃除……代わります。私が汚しちゃったみたいで……」 「いえ、よ、汚れてなんて居ませんっ! ただ……」 「……ありがとう」 彼女は、インナースーツの上にもうシャツを羽織り、ジーンズを履いていた。 ほつれた前髪が、額に汗で貼り付いていた。 両目の下が、心なしか少しこけている感じがする。 無理もない。彼女の身体は、6時間にわたって戦闘訓練を続けていたような物なのだから。 「……あの、ダイアモンドさん……」 「え?」 「あの、何故……貴女は、其処までしてこのプロジェクトに参加するんですか?」 「……え? ええ?」 「主任の娘さんだと仰ってましたけど、それが理由だとは思えません。それに……訓練も実験も、本当に辛そうです」 カレンの心配そうな顔を見て、ディーは少し気分が和らいだ。 正直、6時間の戦闘シミュレーションは彼女の心身にすさまじい負担をかけていた。情緒が不安定になるのが怖くて、彼女は慌てて部屋から出たのだ。 ちかちかとする視界、耳鳴り、それに何度と無く「殺された」時の恐怖感。 それらが、まるで悪夢であったかのようにすっと引いていくのが解った。 ……そう、こうやって彼女の身を案じてくれる人がいるのだから。 もし……勇人が、彼女の分隊長がこの訓練を最後まで見ていたらどんな風に思うだろう? どんな風に憤るのだろうか……。 「貴女……お名前は?」 「あ、あの、今日から配属になりました、カレン・フォートラン、カレンと呼んでください。データの記録テープの交換が……今のところ、私のお仕事なんです」 「私は……ディーよ。そう呼んで頂戴、カレン。……でも、貴女の仕事って、じゃ、モニターを……」 「……見てました……」 「………そ、そう……」 「本当に辛い訓練……一体何故ですか? 他に男の人は一杯いるし、女の人しか使えないこんな武器を使わなくても……」 「……でも、私はここにいるわ。そして……今のCNGS、いえ、Sα8シャードには私たちが必要なの」 「……私たち……」 「ええ。私一人の力は本当に知れている。けど……」 ディーが、室内を見回す。 彼女たちに注目する者は誰もいない。ただ、黙々と自分に与えられた作業を続けているのが見えるだけだ。 「ここにいる人たちも。実戦部隊の……分隊長も、そして私も。必要とされているから、私はここにいるし……ここの人たちは、貴女も含めてきっとそうだと思うわ」 笑みを浮かべた彼女に、カレンは何故彼女がダイアモンドと呼ばれるのかを知った気がした。 その瞳の奥には、確かにあったのだ。 無垢なる、金剛石の様な意志が。 ■CNGS第七分隊司令室 1月15日 10:00 勇人は、書類を相手に格闘していた。 備品の購入、武器弾薬の補充、隊員への手当……。 予算枠が、彼の想像していたものよりはるかに小さく、その為か選択の幅が驚くほど少ない。 編成された直後の部隊というのは、費用のかかるものだ。だが、その部隊に充当する費用としては異常に少ない。 それが、妙に彼の神経を逆なでする。 ディーがあんな無茶をすることや、あの開発主任の物言いは、あるいはそういうところから来ているのか……? 暢気に休んでいた自分を少し恥じながら、彼は必要なものを次々と手配していく。 元々、第一分隊の副分隊長を務めていた頃から、こういった雑事は得意だったのだ。 「あの………分隊長〜……」 額にボールペンを押しつけながら考え事をしている勇人の耳に、間延びした声が聞こえてくる。 「お茶が入りました〜」 「あ、ああ……ってそのカップは?」 「………?」 また小首を傾げる声の主……ガーネット。 「いや、そのカップ……」 「……あ、これ、私が実家から持ってきたもの、です……」 「はぁ……」 「…………?」 「いや、そうか、助かる。俺用のカップなんぞ持ってないんでな」 「お役立て下さいな」 そう言うと、彼女は高価そうなティーカップを勇人の書類の側に置く。 砂糖にミルク、そしてカップに注がれたうす茶色の液体。 躊躇わずに砂糖とミルクをカップに注ぐ。 カップの縁は紙のように薄く、手に取ると受け皿とカップが鈴の音の様な、澄んだ高い音を立てる。 「……随分と高そうだな……このカップ」 「…………?」 「いや、なんでもない。ありがとう、頂くよ」 再び書類に向き直り、ティーカップから茶をすする………。 「ぶはっ!!」 口の中に、奇怪な甘ったるい味が飛び込んでくると、勇人は思わず中身を吹き出してしまう。 書いたばかりの書類の上に転々と飛沫が飛び散り、インクがにじんでいくのが見える。 「な、な、な、な、なんだ、これは………」 「…………?」 「………ガーネット。これ、一体なんだ……?」 「………??」 「……もういい………」 「お茶ですけど……?」 どう考えても麦茶を温めたものに、彼はたっぷりと砂糖とミルクを入れてしまったのだ。 「これ、どうやって作ったんだ?」 「………?」 「だから、このお茶、一体どうやって作ったんだ?」 「……冷蔵庫の中にあったので、暖めたのですが……」 「なんで1月のこの時期に麦茶なんだよ!!」 ため息をついて、目の前の既にまだら模様と化した書類を眺める。 もうこの書類は書き直しだろう。 諦めて、書類を丸めてくず入れに落としこむ。 「……ガーネット、君は………」 言いかけて唖然とする。 彼女は、自分で入れた茶を至極当然そうに口の中へと流し込んでいる。 「……美味いか?」 「…………?」 「……いや、もういい……」 「わりとおいしいですけど……」 「あ、そ………」 疲れたように言葉を返すと、勇人は立って入り口へと向かう。 「……ガーネット……。とりあえず、俺は新しい書類を受け取りに行く。すまないが、机の上を拭いておいてくれないか?」 「………?」 「えーと、了解?」 「………はい、解りました」 漸く付き合い方が解ってきたのだろうか、勇人はそのまま踵を返して歩いていく。 理解力が劣るわけではない。ただ、テンポが人と恐ろしく違うだけなのだ。 ……そう信じたいものだ、と勇人は思いながら、事務所へと足を向けた。 ■第三開発室 1月15日 10:40 調整を終えたスーツを作り上げると、ラー主任は助手達に指示を出し、インナースーツへのインストールを開始する。 ディーは、奥の部屋のソファで眠っていた。 結局、昨日あの後父親の仕事を終わるのを待つ子供のように、ずっとその仕事を見ていたのだが、気が付いたときには眠っていた。 それを見たラー主任が、娯楽室から毛布を借りてきて、彼女の身体にそっとかけてやっていた。 カレンが見ていた限り、それから30分以上、主任はディーの側を離れなかった。 時折、何かを話していたようにも見えるが、彼女にはそれが何であるかまでは聞き取れなかった。 そのディーは、やがて新しく調整されたスーツをインストールしたインナースーツに着替え、またVRSの前に立っていた。 黒いインナースーツに、白い肌がまぶしく映える。そのすらっとした手足にはまだ包帯が巻かれていて、それがカレンの目には痛々しく映った。 「よし……始めようか」 「はい」 主任の一言で、ディーはスーツを『ダウンロード』する。 いつもの彼女の姿……黒いインナーは白いスーツに覆われ、彼女は純白の騎士となる。 椅子に座り、肘と手首を固定し、膝と足首を固定する。かすかに身体を開いた体勢で固定するのは、あちこちに取り付けるコードの為だ。 そして、身体を固定したりコードを取り付けたりするのはカレンの仕事である。 流石に、身体を開いた女性に近づくのは、男性より女性の方が安心感がある、というわけだ。 「……準備よし」 「よし、ディー、まずは機動性試験から開始するぞ」 「はい」 その返事を聞くと同時に、ラー主任はVRSのスイッチを入れた。 ■VRS 仮想空間内 ディーは、ふっと身体が軽くなるのを感じた。 神経系がVRSに乗っ取られ、彼女の感覚が一瞬消失し、そして復活するまでの間は不思議な感じになる。 やがて身体が重さを取り戻すと、彼女は視界をオープンにする。 最初、真っ暗だった世界に徐々に光りが点り、無限に広がる荒れ地のような地形が浮かんでくる。 『ディー、聞こえるか? ダウンロードは終了した。敵性分子のダウンロードを始めるが、その前に体調はどうだ?』 通信システムが息を吹き返す。 聞こえてきたラー主任に、ディーがはっきりと答える。 「万全です。……テスト、開始してください」 ■第三開発室 ラー主任が頷くと、キーボードから幾つかのデータを入力してやる。 まずは機動性試験……つまり、回避能力の試験だ。 いきなり身体に負担がかかる試験だが、結局のところこの部分を改良した以上、テストせざるを得ない。 「よし、いくぞ」 ■VRS 仮想空間内 ディーのセンサーが、遠距離から飛来する熱源体をキャッチして警報を発する。 センサーが捕らえた目標の着弾位置が表示されると同時に、彼女は地面を蹴った。 7発の対人熱誘導ミサイルが飛来する。 人間のもつ温度……摂氏35〜38度……にロックされたミサイルが、彼女の熱を求めて真っ直ぐに飛んでくる。 一気に大地を蹴り、身体を横に泳がせる。 遠距離で身体を大きく動かしても、対人用にチューンされたミサイルは難なく彼女の動きを追ってくる。目標が着弾する0.7秒前、彼女は走る方向を逆方向へと変えるべく、地面を踏みしめる。 地面がきしり、彼女の足下でえぐれながら散っていく。同時に、彼女の身体は全く同じだけの運動エネルギーを逆方向へと転換し、ミサイルはむなしく彼女の残像を貫いて爆発する。 もう一発は、彼女を追うことも出来ずに地面に着弾して四散する。 走る彼女に爆風が追いつき、身体を撫でる熱を感じる。小さな破片が幾つか彼女に当たったものの、ほとんどは防護フィールドで防がれてしまう。 次の3発が同時に彼女を真上から襲う。そのまま真っ直ぐ走り続ければ、彼女を背後から襲う形になるだろう。 だが、重力の法則に従って逆落としに落ちてくるミサイルを、彼女は寸前で回避しながらステップを右に左に踏む。 まるで、ミサイルの雨の中を踊るようにして、彼女はその悉くを回避していく。 3発目が着弾すると同時に、彼女は地面を蹴って走り出す。着弾してから爆発までのわずかなタイムラグを利用して、彼女は3発のミサイルを一カ所に集め、爆風も破片も浴びずにその場所を一瞬にして後にする。 だが、その大きな動きは残る2発のミサイルを惹きつけた。 真後ろから迫ってくるミサイルの熱源を感知してセンサーが警告を発する。 解っているといわんばかりに、彼女は両脚を限りにダッシュする。 ミサイルの方がむろん優速だ。 だが、そのミサイルが命中する寸前、ディーは思いっきり地面を蹴ると、空中へと舞い上がった。 背面にミサイルの排気を感じながら、空中で大きく宙返りした彼女は、着地と共に踵を返し、再び反対側へとダッシュする。 目標を見失ったミサイルが、大きく左右に旋回して再びディーを探す。 「………っ!!」 精神を集中すると同時に、両腕に9mm口径のサブマシンガンを呼び出すと、彼女は照準を飛来するミサイルにあわせる。 「やああああっ!!」 気合い一閃、放たれた曳光弾がミサイルの弾道と重なり、光の矢が一瞬目映く光ってから四散した。 「……脅威信号無し」 『いいぞ、ディー』 「破片を2,3受けましたが、被害はありません」 『いいぞ。機動性はどうか?』 「特に問題ありません」 『次、行くぞ』 言葉と共に、小型の雀程度の大きさのものが無数に飛来する。 個々に荷電粒子砲を備えた、無線誘導式の無人機動砲台……CNFが最近開発した兵器だ。 初めて見る兵器に戸惑うディーに、無数の『鳥』達は容赦なく襲いかかる……。 ■第三開発室 モニター映るディーは、明らかに戸惑っていた。 個々の『鳥』の火力は知れているし、搭載されているバッテリーは5,6発程度のビーム弾を撃てば放電してしまう。 それを知っていれば大して脅威になる兵器ではないのだが、ディーにはこの情報は与えられていない。 主任は、攻撃開始の指示をキーボードから打ち込む。 ■VRS 仮想空間内 一斉に飛びかかってきた『鳥』を、彼女は冷静に分析する。複数のスラストモーターをもった『鳥』達は、彼女の背後と側面を取るように移動する。 複数の『鳥』から、熱源を感じ取った彼女がとっさに身体を前に泳がせると、その背中を灼くようにして荷電粒子砲が放たれる。 地面に手を突いて、身体を前転させながら『鳥』達の包囲から逃れようとしたディーは、しかし瞬時に位置を変えた数機の『鳥』に再び囲まれる。 「……っ!」 サブマシンガンを構えるいとまもなく、二発のビームが彼女に命中する。 防護フィールドがそれらを消散させる。だが、ビーム兵器を消散させる為に使われた粒子が希薄になり、フィールドの防御力が低下する。 その旨を網膜投影された情報ディスプレイから読みとると、彼女は射撃後の『鳥』に向けて数発発砲する。 だが、『鳥』達は難なくその弾丸をかわし、視界から消える。 それを追って身体を捻った彼女に、また二発、ビームが命中する。 危険な迄にフィールドの質量が下がっていると警告が発せられ、彼女はいそいでその場を離れるべく地面を蹴る。 追いすがるように、ビームが次々と着弾するが、彼女は身体を地面に擲つと、そのまま転がりつつ照準に飛び込んできた『鳥』を捕捉する。 トリガーを引き、数発をたたき込むと『鳥』はバラバラになって飛び散った。 だが、同時に彼女の左腕に3発のビームが着弾する。 一発目はフィールドで大半のエネルギーを奪われ、彼女の肌にたどり着いたのはドライヤーの熱風程度のエネルギーだった。 だが、残り2発が彼女の薄くなったフィールドを貫通し、グローブで覆われていない、むき出しの肌に命中する。 一瞬、冷たい様な痛いような感触を受け、ディーが絶叫する。同時に受けたビーム攻撃で、肌の表面が炭化し、水ぶくれが無数に出来ては破裂する。 血と体液を左腕から吹き出させた彼女が、それでも次のビームを回避したのは、天性の反射神経と、幾度と無く行われてきた訓練の賜だった。 再び右手のマシンガンで『鳥』を二機、撃墜するが、その動きは被弾のショックで著しく鈍くなっていた。 彼女の動きが鈍ったところで、さらに二発のビームか背後から襲う。 が、どちらもスーツに命中し、表面で消散する。だが、同時にスーツ自体の防御力が低下していると警告が彼女に与えられる。 半ばパニック状態になった彼女が走ろうとしたその脚をさらにビームが貫く。 倒れ込んだ彼女に、『鳥』達から一斉発射されたビームが次々と彼女を打ちのめした。 「あああああああああああああああっ!!!」 まだ傷の癒えない肩や両脚を灼かれたディーが、たまらずに苦痛の悲鳴をあげる。 だが、そんな彼女に次々と光弾が命中し、彼女はたちまち意識を失った。 ■第三開発室 モニターの中で、ディーが次々と放たれた光弾に貫かれ、倒れ込むのが映った。 カレンが思わず目を覆い顔を背ける。 椅子の上で、ディーの肉体が大きく痙攣する。 モニターの中で絶叫している彼女ではあるが、舌を噛まないように噛まされているマウスピースの為、悲鳴を上げることもない。 とうとう、モニターの中のディーが断末魔の悲鳴を上げる。 昨日から、この訓練を始めて既に4回目の『死』が彼女を襲い、モニターの画像がその直後プツン、とブラックアウトした。 椅子の上でがくがくと痙攣していたディーの身体が、がっくりとうなだれる。 「テスト中止!!」 主任の声が響き渡り、全員が目の前のコンソールに一斉に手を伸ばす。 数人の男達がキーボードを叩き、戦闘で得たデータを読み出し、それをコンピューターの方へと書きだしていく。 数人は、彼女が『死亡』したデータを読み出し、原因と状況を記録したハードディスクを保管し、新しいハードディスクに、また『ディー』をインストールし始める。 その間、ぐったりとして汗にじっとりと濡れたディーには誰も触れない。 見かねたカレンが、ハンカチを持って彼女に近づいていく。 ハンカチがディーの身体に触れた途端、ディーの身体が大きく跳ねた。 「何をしている!!」 ラー主任の声が飛び、同時にカレンは思い切りはねとばされた。 「……VRSに接続している人間に触れるな!! この素人が!!」 怒りをあらわにした主任を前に、張られた頬を押さえてカレンは呆然としていた。 「……いや、すまん、説明不足だったな。VRSに神経を明け渡した状態では、彼女に触れる事は許されていないんだ」 「……私、……ただ……汗を……」 「そうだな、君はよかれと思ってしてくれたことだった。だが、君という人間にもかすかながら電流が流れている。神経電流だ。これが、今の状態の彼女に取ってはすさまじい苦痛になるんだ」 「………!! そ、そんな………」 激しい痙攣を続けるディーが、何度か首を振りながらマウスピースの下から荒い息を吐いている。 既に、数人の技術者達が彼女の苦痛を和らげるように、VRSの調整を行っていた。 「……だが、これではしばらくテストは出来ないな。……少し休憩を入れよう」 「………はい……。申し訳ありません……」 消え入りそうな声で呟くカレンに、主任は優しい顔を向ける。 「かまわないさ。このテストはディーに負担をかけるからな」 ■第三開発室横 休憩室 ソファにぐったりと横たわったディーの汗を、カレンは丁寧に拭いてやる。 既にスーツはアンロードされ、黒いインナースーツだけになった彼女だが、全身は汗でびっしょりと濡れており、包帯には血がにじんでいる。まだ完治していない部分の傷が開いたのかも知れない。 インナースーツが汗でぐっしょりと濡れており、肌に貼り付いている。 タオルで額や首筋の汗を拭き取りながら、うつろな目のディーをカレンは世話していた。 主任達の声が、隣室から聞こえてくる。 「……全方位センサーは必要ですが、近距離戦以外では役に立たない……」 「『鳥』を相手にするのはやはり厳しいか」 「防御力がやはり不足気味ですね。全体的にもう少しマテリアルを集中運用出来れば……」 「予算がないんだよ、予算が。あればディー嬢ちゃんがあんな痛い目を見なくてすむんだ……」 ふと、ディーが目に涙を浮かべて、隣室の方を見ている事にカレンは気付く。 慌てて彼女が絞った濡れタオルを用意し、ディーに声をかける。 「ディー……」 「カレンね? ……なんだか情けないわ。思うように動かなくて……」 「そ、そんな事無いわ!! あれは……ずるいです」 「ずるいって?」 「『鳥』の事、何もご存じ無かったんでしょ? そんな状態で、アレを相手にしたら、結果どうなるかなんて分かり切ってるのに………」 「………そう、あれが『鳥』なのね。幾ら照準を合わせて撃っても、全然当たらなかった。けど、少し癖があって、右旋回から左に旋回する時に一瞬大きく隙が出来るの」 「…………」 「だから、次はもう負けないわ。相手に囲まれなければ、あれだけ攻撃を受ける事もないし」 「……ディー……」 濡れたタオルを額に当てると、ディーは気持ちよさげに目を細める。 「……カレン、ごめんなさいね。心配かけちゃって……」 「でも……ディーは一生懸命やってるわ」 「ありがとう。……でも、私が倒れちゃったから、お父様達は貴重な時間を失ってるわ……」 体を起こすディーを、カレンが慌てて助け起こす。 まだ身体に力が入らないのだろう、身体を支える両手が頼りなげにふるえる。 「まだダメです。まだ、身体が本調子になってません」 「そんな事無いわ。……ありがとう、カレン、もう大丈夫だから」 そういいながら、彼女はソファの肘掛けを頼りに、ゆっくりと体を起こす。 カレンは、ディーの身体を支えながら、彼女の体重の軽さに驚いた。力強いモニターの中のイメージと違い、今彼女の目の前にいるディーは驚くほど華奢な、彼女と代わらぬ少女だった。 だが、その少女は毅然とした表情でカレンの支えを離れると、ゆっくりと、しっかりした足取りで隣室のドアをノックする。 一斉に振り返った研究員達の前に姿を現すと、ディーは頭を下げる。 「申し訳ありませんでした。みっともないところをお見せしましたけど、もう大丈夫です。……再開しましょう」 毅然とした物言い。 研究員達が顔を見合わせる中、主任とディーはお互いの顔をじっと見つめ合っていた。 お互いの心の奥底を見るように。 やがて、主任が大きく頷くと、ディーにインナースーツを着替えるようにと伝える。また、シャワーを浴びる時間ぐらいはあるよ、と言いながら、自らは機材室の方へと歩き出した。 カレンは、新しいインナースーツを用意すると、研究者の一人に渡す。スーツのデータをインストールするために。 ディーが再び戻るまでに、実験の準備を整えなくてはならないのだから。 |