異端黙示録  世にも不敵な冒険者達☆ミ


フォーセリア………

太古の昔巨人より生まれし往古の世界………

神々が創りたもうたかの地での

悠久なりし時の流れの一滴…………

運命の悪戯に導かれし者達の小さな輝き………

祖は聡明なりし蛮族の子
祖は静寂なりしドワーフの戦士
祖は心優しき東方の賢者
祖は忠実なりしラーダの司祭
祖は夢を求めし魔術師の少女
祖は優雅なりしエルフの娘

かの地に集いし彼らを待つは

栄光と光破滅と暗黒現実と幻想…………

時の流れに虚いし永久なる一瞬を瞬く

幾多の光の物語…………

3.時、揺れる

3−1. 思惑

「しっかし、仕事ねぇなぁ……」

 ゼクスの不景気きわまりない声が響き、室内の数人が嫌そうに眉根を寄せる。そんな光景などどこ吹く風と言わんばかりにゼクスは、口笛を吹きながら掲示板につるされた羊皮紙の束をがさがさとかき分ける。

「おい、オッサン、そっちはどうだい?」
「……ダメだ。何にもないな」

 テキサスの声もまた、不景気きわまりなかった。
 小さな町の冒険者協会だ。大した仕事もなかろうが、と思いつつ入ったのだが、仕事そのものの数の少なさに二人は閉口していた。
 彼らにとって、農家の手伝いやパン屋の売り子なんぞと言うのは冒険者にとって仕事とは言わないらしい。
 そういった小口の仕事であればそこそこ数もあるのだが、彼らはそれらを完璧なまでに無視して捜索作業を続けていた。……が、埒のあかないことにいらだったか、ゼクスが受付のカウンターに肘をつき、やる気なさげな事務員に声をかける。

「なぁ、何かいい仕事ねぇか?」

 またか、と言わんばかりの表情で顔を上げた事務員は、黙って掲示板を指さす。

「だから、よぉ。そっちにないから聞いてるんだよ。何かねぇか?」
「ない」

 ぶっきらぼうに答える事務員。本から顔を上げようとすらしない。一体どんなすばらしい本なのだろうか、とゼクスは手を伸ばすとその本を取り上げる。

「……おい」
「一体なんだこりゃ……光電魔術の…なんて書いてあるんだ?」
「俺の大事な本だ。返せ」
「返してやるが、仕事ねぇか?」
「地図の作製なら年中受け付けてるよ」

 本を取り返し、不承不承といった感じで事務員がゼクスに答える。

「そんな気の長い仕事はやってられねぇんだ。今すぐ! 短期間で! 稼げる! 仕事を探してるんだよ」
「そんな仕事があったら俺がやりたいわい」

 事務員が本をしまい込み、それから椅子の背もたれに身体を預け、腕組みをする。
 ゼクスがちっ、と舌打ちするとそのままテキサスを伴って協会の建物を出る。テキサスがため息を一つ吐いてからゼクスに声をかけた。

「……なぁ、どうする?」
「どうするったってなぁ……」

 仕事がない。それは、今夜の酒代はおろか宿代すらおぼつかなくなる事を示す。町の空き地などで寝ているとたいていの場合衛兵達にたたき起こされたあげくに町の外へと追い出されてしまう。治安が悪くなりつつあるこの町ではそういうしきたりになっているらしい…。

「……『ギルド』行ってみるか……」

 ゼクスがため息とともにつぶやく。テキサスが気遣わしげに彼の顔を見上げる。

「……おい、ゼクス……」
「解ってるよ、オッサン。ヤバそうな仕事は受けたりしねぇさ……」
「……『ギルド』が関わってて、ヤバくない仕事なんかないぞ? 普通は」
「大丈夫だよ。オレを信じろ。バーバリアンで16歳だからな」

 そんな根拠のない自信をひけらかしながら、ゼクスの腰に下げられた小袋からはすでにいくつかの木ぎれと色の付いた石が取り出されている。
 合図である。この石と木ぎれを組み合わせ、町の決められた場所に置いておけば『ギルド』からの使いが迎えに来てくれる寸法だ。

 『ギルド』とは、非合法の冒険者援護組織だ。小手先の技を得意とする者達が集まるところである。……小手先の技の得意な者達…それは、町中では『盗賊』と呼ばれ、嫌われることの多い連中である。
 冒険者達は、それぞれの得意分野で組織を持つ。魔術師達は『学院』、神官達は『教会』、戦士や騎士は『訓練所』……。盗賊、と呼ばれる者達は『ギルド』に属して、彼ら専用の訓練や仕事の斡旋を受ける事が出来るのである。

「………ゼクス」

 テキサスが真剣な声で、歩み去ろうとするゼクスの背中に声をかける。

「なんだい、オッサン」

 振り向いたゼクスが、テキサスの目を見る。

「……油断、するなよ。『ギルド』は……油断した者に容赦なく牙をむくんだ」
「解ってる。オレも……砂嵐の兄ぃの弟分だ。それくらいは……解ってる」
「……なら、いいんだ」

 テキサスがそのままきびすを返し、ゼクスと違う方向へと歩いていく。『ギルド』の会員でもない彼は、関わることすら許されないのだから。

「……無茶、するなよ」

 テキサスの声は、吹いてきた風にのって、砂埃とともに舞い散っていった。

 一日経てば『ギルド』の者が迎えに来る。
 急ぎであれば、半日もしないウチに迎えが来る。合い言葉を述べ、『ギルド』にその日に安全に入るための鍵を受け取ると、ゼクスは『ギルド』のある場所へと足を運ぶ。
 大抵は古びた建物の奥の隠し部屋などにあるのだが、この町のギルドは、町のすぐ地下にある下水道の一角にあった。
 それなりの臭いと、そこそこの広さのある空間には、間仕切りと机がいくつか並べられており、彼以外に三人ほどの冒険者達が座り込んでいる。一癖もふた癖もありそうな、目つきの悪い連中ばかりだった。

「……仕事、ねぇかな」

 小さな声でつぶやくと、目つきの悪い連中の中に入り込み、そのうちの一人の男の前に座りこむ。男は迷惑そうな顔つきでゼクスをにらんだが、ゼクスはどこ吹く風と言わんばかりの態度で口笛など吹き始める。
 その態度が燗に障ったのか、部屋の隅にいた大男がひときわ大きな舌打ちをし、ゼクスの前に座っている男を押しのけてその椅子へと座り込んだ。

「お、おい、何を……」
「あんだ? 文句あるのか?」
「……お前…は……」

 押しのけられた男は、抗議の言葉を飲み込んだ。幅も背丈も彼を遙かに凌駕するその大男は、一睨みで男の抗議を押さえ込んでしまったのだ。

「……おい、ガキ」
「……………」
「おい」

 大男は明らかにゼクスに声をかけている。だが、ゼクスは相変わらず知らん顔を決め込む。ついに大男が声を荒げた。

「おい、ここはガキの来るところじゃねぇ。とっとと家に帰りな」
「ガキってのは一体誰の事を言ってるんだ、デカブツさんよぉ?」
「貴様の事だ、貴様の!! 俺をいったい誰だとおもってやがるんだ!!」
「でかいの」

 平然と言ってのけるゼクスに、彼の隣に座っていた一人があわてて声をかける。
 
「お、おい、よせ。あれは……熊殺しのゴルドだぞ。盗賊ギルドに出入りしているが、下手なバーバリアンなんかよりずっと凶暴な奴だ……」
「へっ、上等じゃねぇか」

 ゼクスが立ち上がるとゴルドと呼ばれた男の前に立つ。

「こちとら本物のバーバリアンの16歳だ。似非バーバリアンのオッサンにでけえ面される覚えはねぇんだよ」
「……ほほう?」

 ゴルドの丸太のような手がゼクスに向かってのびる。それを軽く避けながら唇からは相変わらず口笛が聞こえてくる。いらだったゴルドが更に一歩身体を前につきだした瞬間をねらい、ゼクスはテーブルを軽く蹴飛ばした。
 テーブルに足を払われるような形で、ゴルドが無様に前のめりに倒れ込む。一瞬息をのんだ男達がたちどころにその場を離れ、あわてて出口へと走っていく。
 ゼクスはと言えば、素知らぬ顔で再びソファーに腰掛けてしまった。

「へへっ、なんか知らねぇが席が空いたぜ、オッサンよっ。そんな所で寝ころんでるんじゃねぇよ」
「……死にたいのか、このガキが……」

 顔に怒りのあまり血管を浮かばせた状態で、ゴルドが身体を起こす。ゼクスがその頭をぽんぽん、と叩きながら笑う。
 
「まぁまぁ落ち着けよ、余裕ねぇな、オッサン。そんなんじゃ盗賊失格だぜ? 盗賊の心得、どんな時にも……」
「冷静に……か。お前は砂嵐の弟子だったそうだな」

 不意に知らぬ声が響き渡る。決して大きくはない。だが、聞く者の動きを止め、注目を集めるだけの威圧感を持った声だった。

「…………!?」

 巨漢のゴルドが一瞬息をのむと、あわてて姿勢を正す。ゼクスは声の主を振り返る。壮年の男が、腕を組んだままゼクスとゴルドの方を向いて立っていた。
 にらんでいたわけではない。その目の中央の、あるべき所には瞳が無かった。ただ、うつろな白い眼が、虚空をにらみ据えるかのようにゼクス達を見つめていた。
 
「み……『みみずく』様………」
「ゴルド、お前は相変わらず冷静さが足りないな。いっぱしの仕事を任せるにはまだ不安だな……」
「そ、そんな………みみずく様……」
「で、お前だ。たしか……ゼ……」
「ゼクス・グランバスだ」
「そうそう、ゼクスだ。知ってるぞ、お前の名は。あの砂嵐がずいぶんと自慢してた弟子の名前だ」
「………オッサン……」

 ゼクスが一歩前に出ると、そのまま『みみずく』と呼ばれた男の所へと歩み寄る。

「……兄ぃを知ってるのか?」
「あぁ。よく知ってるともさ。……砂嵐……か。稀代の天才だったが……惜しむらくは自らを過信しすぎた……な」
「……オッサン、なんで兄ぃを知ってるんだ? 教えてくれ……兄ぃの事を……」
「それはおいおい判るだろう。またここに来たときにじっくり教えてやる。おい、ゴルド、いつまでそんな所で小さくなってる。さっさとその辺を片づけて、外で覗いてる臆病者達を招き入れてやれ」
「……は、はいっ、師匠!」

 大急ぎでゴルドが片づけを始める。ゼクス自身は、この大男を簡単にあしらうこの人物に興味を覚えながらも、当初の目的を思い出していた。
 
「……なぁ、いい仕事、ねぇかな」

3−2.導くもの

「……いいとも。とびっきりのがあるぞ」

 その答えは、ゼクスにしても驚きだった。不景気極まりない面を並べていたこのギルドでも大した仕事はあるまい。……そう思っていた彼は、目の前の男が表情も変えずに答えた事に半ば驚き、半ば不審の念を持っていた。
 
「なぁ、オレが来ること……もしかして、知ってたのか?」
「いいや。そんな訳があるか。占い師でもあるまいに」
「……じゃ、なんでオレのために仕事を用意していたんだ?」
「…すべては、意志のままに……だ。余計なことを詮索する間に、もっと大事なことを聞くべきじゃないのか?」
「……オレにとっては十分大事な事だけどな」
「……じゃ、仕事の情報はいらないんだな?」
「くれ」

 『みみずく』が手招きすると、招かれるままにゼクスは奥の間に入っていく。カーテンを抜けると、ろうそくが一本だけ立っている薄暗い部屋へと案内される。
 
「……あんた。やっぱり占い師なんだろ?」

 『みみずく』は答えない。ただ黙って一枚の羊皮紙を取り出すと、ゼクスに向かって放り投げる。
 
「………?」

 そこには、一人のハーフエルフの顔が描かれていた。精密に描かれたその顔は、今にもその口を動かしてゼクスに語りかけようとしているようにすら感じられる。
 
「それは『ゲイツ』だ。お前の仕事はその男を……殺す事だ」

 その言葉が冷たい氷の棘となってゼクスを貫いた。あの剛胆なゼクスが一瞬固まり、やがて大きく息を吐いてから何事かを口の中で呟いた。
 …ほんの数瞬の忘我の後、ゼクスがかろうじて口を開く。
 
「……お、おい……冗談じゃねぇぞ。オレは盗賊だ。暗殺者じゃない!」
「判ってる。だが、暗殺者という連中は我々と違って組織をあまり表には出さぬのでな」
「そりゃそうだろうさ……」
「だから、我々にこういう仕事がちょくちょく回ってくる。今回はお前が仕事を選ぶ番じゃない。我々がお前に仕事を命じる番だ」
「……断りたい所だがな」
「断るのは自由だ。ただし、お前はギルドに刃向かう者として永遠に今度は我々に追われることになる。……そう、死ぬまでな」

 ゼクスが唾を飲む。ごく、といやな音が彼の耳朶にこだました。

「……オレはちゃんと会費を払ってる。それに、無断で仕事したりしてねぇ。それなのに、こんな罪人に与えるような仕事をやれというのか?」
「そうだ。……この仕事には、お前を導くものが存在するのだからな……」
「……導く………もの?」
「そう。導くものだ。……さて。ほかに必要な情報はあるか?」
「………つまり、オレは受けたことになるんだな?」
「あぁ。そうだ。報酬は半分前払い、半分は成功報酬だ。失敗のペナルティは、……お前の命と……お前のツレの命だな」
「……?! オッサンは関係ない!! オレはギルドの一員だが、オッサンはただの冒険者だ!」
「それでも……なのだよ。さて、話はこれで終わりか?」

 みみずくがうつろな目をゼクスに向ける。その異形の圧力の前に、再びゼクスは言葉を失う。
 
「……ど、どこにいる奴で……いつまでに?」
「フォルトランド北部、タニス村。……ゲイツはそこで研究をしている。とある、邪悪な研究だ」

 あんたほどじゃないだろうがな。ゼクスは心の中で一人ごちる。
 
「一度殺し損ねると、我々が手を下すまでもなくお前の命は無いだろうな。……それが、期限だ」
「………っ!」

 忌々しそうにゼクスが舌打ちする。なぜか、この男の前では持ち前の軽口も、意味を持たないかのように脳裏からかき消えてしまう。
 
「……わかった」

 ゼクスがうなずき、そのまま背中を向けてカーテンの向こう側へと出ようとする。
 そのゼクスの腕を掴むと、みみずくは別の方へと彼を引っ張った。
 
「……出口はな、こちらだ」

 暗闇の中、うつろな白い目がゼクスを見送る。半ばいらだち、半ばおびえているゼクスの心理が、みみずくには手に取るように判る。……すでに目は見えなくなって久しいが、それゆえに見えないものをはっきりと見ることが出来るのだ。
 そのみみずくが、大きくため息をつく。
 
「……せめてもの、若者の行方に幸あれ……」

 それは、紛れもない祈りの言葉だった。

 通りに出たゼクスは、決まりに従って大きく迂回してから宿へと向かう。その背後にかすかに視線を感じた彼は、嫌がらせのように何度も何度も振り返る。
 
「……畜生め。そんなにオレが信用できねぇか?」

 『ギルド』からの監視。今までも何度かあったのだが、新米盗賊に仕事を任せると勢いに任せて余計なことをしかねない。そういう時に口を封じるために、監視がつく事があった。
 だが、もうすでにベテラン…とまではいかなくとも十分な経験を積んでいるゼクスに、そんな監視がつく事など滅多になかった。それだけに、彼のいらだちはさらに高まっていく。
 
「……ムカつくんだよな……ったく。オッサンに相談にいくか」

 ゼクスが足下の砂をけりつけると、宿への道を早足で歩き始めた。
 
 ……その『視線』の主が、ため息をつく。
 
「種まきは完璧だね、リリス。……あと一組はどうやって誘導するんだい?」
「……」

 リリスと呼ばれたエルフは答えない。冷徹な目でゼクスの後ろ姿を見送っていたが、やがて初めて気付いたかのようにすぐそばの連れの顔を見た。
 
「……メスロン。学院の先生には挨拶に行かないの?」
「あ、……い、行くけど……」
「さっさと行きましょう」

 リリスがすたすたと背を向けて歩き出す。メスロンが肩をすくめると、リリスの後を追った。

 魔術師パーンバレッタの名を知る者は少なくない。付与系魔術師(エンチャンター)としての実力と、古代魔法帝国『カスティール帝国』時代の日常における魔法の使用法など、少し変わった切り口で『魔法』のなんたるかを説いた著書など、その功績は枚挙にいとまがない。
 偏屈者ではないのだが、弟子を選ぶときの基準が恐ろしく厳しい為、毎年何百人と来る弟子候補生から選ばれるのは最高で2人。そして、2人が選ばれたのは過去にたった一度だけだったと言う。
 
 そのパーンバレッタの部屋は、学院の中でも辺鄙な所にあった。辺鄙な所の割に人通りが多いためか、なかなか思い通りの場所にたどり着くことが出来ない。
 かろうじて、彼女がその場所にたどり着くと扉を押し開けた。
 
 パーンバレッタは客人の影を見た。そのほっそりした影と、その影と同色の髪を見つけたとき、相好を崩した。
 
「……よく来たな、東方の賢者緋黒よ」
「…先生、お久しぶりです。……近くに立ち寄りましたので、ご挨拶に参りました」

 漆黒の髪がさらりと流れる。その髪のように優雅な動作で師の前にひざまずいた緋黒の姿に、パーンバレッタは目を細めた。
 未来がまだ光り輝いていると信じて疑わぬ、若者独特の力強さを見るのは大好きな彼である。

「……少し、やせたのではないか?」
「そんな事、ありません」

 他愛ない挨拶の言葉が終わり、従事の生徒が茶を運んでくる。カップを手に取りながらその湯気で顔の下部を隠しながら、パーンバレッタが口を開く。
 
「知識は幾らでも集められるものだな。……北のタニス村に、珍しい男が居るそうだ」
「……珍しい、男……ですか?」
「あぁ。魔術にあっていかなる魔術とも異なる……不思議な技を使う者だ」
「……それは、……確かに珍しいですね」
「うむ。……興味があるか?」
「えぇ」

 パーンバレッタが、彼にしては珍しく一瞬口ごもったようになる。が、咳払いとともに再びいつもの口調で話を続ける。
 
「それなら、行ってみるがいい。そこに、お前を導くものがあるはずだ」
「………それは…?」
「今言える事はこれだけだ。……これを使え」

 一枚の木片。それは、タニス村へと向かう荷馬車の警護の仕事の依頼書だった。

「先生…。まるで、私が訪ねてくるのをご存じだったようですね」
「……風が……な。知らせてくれるものなのだよ」
「……風……?」
「うむ。……エルフのような物言いだな、これは。だが……実際、風が知らせてくれたのだ。お前を導くものがそこにある、とな」

 緋黒が退出するのを見送ると、パーンバレッタはやりきれないような深い息を吐いた。
 
「……賢者……か。儂は、そなたを危地に送った。その罰は受けねばなるまいが……だが……」

 不意に振り返る。その視線の先には、二つの影があった。
 
「……リリス、メスロン。お前達にもその覚悟はあるのか? いったいいつまで、儂の愛弟子達を死地に送り込めば気が済むんだ?」
「…大切な事なのです。……ご理解下さい」
「儂の生涯、もし一つだけ取り消したいことがかなうのならば、それは……」

 憎々しげに。そう、彼にふさわしくない口調でパーンバレッタは言い放つ。
 
「お前達を見初めた事だ。たった一つの例外…一年に二人の弟子をとった事が…これほど醜悪な事に発展すると判っていれば……な」
「先生。我々もこれでおいとま致しますわ。……生に急ぎ、死に急ぐ大切な友人の……先生」

 扉が閉まる。風が去り、残されたパーンバレッタが悲哀に満ちたため息を、一つ吐いた。

3−3.輪転

「はぁう………」

 何度目になるだろうか。アリエッタは、大きなため息をついた。
 壺のふたを閉じると、もとあった棚に戻す。
 店主が、またか、と言わんばかりの顔でため息をつく。今日はこんな客ばっかりか?
 
「……あんまり、良い香りがしないです。でも、香りのいい葉は味がイマイチ……」

 緋黒が好む、『リョクチャ』というものを彼女はずっと探していた。東方にある、珍しい茶である事は知っていたが、それがどんな物なのか、どうすれば手にはいるのか、全く見当すらつかない状態だった。

「……はぁ……。エッタはダメなメイドです……」

 店を後にすると、とぼとぼと帰路に就く。宿の手伝いは夕方から忙しくなるのだから、そろそろ戻らなくてはいけないだろう。
 緋黒が、学院の師匠に挨拶に行くと行って出かけた。宿の主人は、ついでだから出てこいと彼女を送り出してくれる。相変わらず不器用ながら、気遣いを忘れない主人だった。
 だから、感謝の意味を込めて宿の主人に買い物をしてきた。それは簡単だった。だが、彼女自身の『旦那様』である、緋黒のための買い物はいつもと同じように失敗に終わったのだ。
 
「……帰る……です」

 うつむき加減にあるく。日の光は傾き、地面はオレンジに染まる。視界に影が飛び込んできたときも、彼女の注意はまるでそこには無かった。
 衝突。そして、転倒。
 まるで、ごく当たり前であるかのように、彼女は何かに衝突し、思いっきり地面に転んでしまった。
 
「………きゃ?!」
「ってぇ!!」

 青年の声が響く。アリエッタが顔を上げると、彼女に衝突して尻餅をついた青年の姿が見えた。背の高い青年。赤みがかった茶色い髪が夕日の茜に染まっていた。
 
「……あ」
「……おいおい、どこ見て歩いてるんだよ……ったく……」
「………あ……」

 彼女はふと手元に目をやる。地面についた手の先に、箱があった。彼女が店の主人の為に買ってきた物だった。箱の隙間から液体が漏れ出ている。中の壺が割れ、壺の中身の酒がこぼれているのは明白だった。
 
「………あ……」

 再び、吐息混じりの声が彼女の口からこぼれる。青年が何かまくしたてていたが、彼女はたちどころに自分が誰かにぶつかり、今日一日の休みを費やして買ってきた物が水泡に帰した事を理解した。

「………う………」

 情けなさで頭がいっぱいになる。結局、店の主人にも、彼女の『ご主人様』にも何も出来なかった。ただ、一日が無為に過ぎただけだった。そう思うと、目尻から涙がこぼれ始めるのがわかった。
 
「う………うあ…………うああああああああああああああん………!!」
「え?!」

 青年が唖然とした。自分からぶつかってきておいて、転び、そして次の瞬間には泣き出す。
 そんな少女に即座に対応できるほど、彼は『ベテラン』では無かった。
 
「え、お、おい、言い過ぎた……悪かった、謝る……」
「うああああああああああああん、ごめんなさい、ごめんなさい〜……うああああああん」
「いや、その、悪いのはあんた……じゃない、俺だった。そう、俺、俺、悪いの俺、な? な?」
「うああああああああああんっ、うっ、うっ、うあああああああああああああああん」
「いや、その、俺、何もしてないって、ていうか、頼むから泣きやんでくれ、頼むから……」

 ひたすら謝り続ける青年とひたすら泣き続ける少女。そして、通行人は悉く関わりのない顔をしてなぜかその地域だけを早足で駆け抜けていく。そこだけ時間が早送りになったかのような光景なのに、青年には永劫に等しい時間が流れ続けていた。
 
 ……やがて、少女が落ち着きを取り戻す。顔中を涙でぬらした少女が、青年の差し出したハンカチを受け取る。涙を拭うと、すでに中身が完全に抜けてしまった箱を手に取り、それから青年に深々と頭を下げる。
 
「……あの、すいませんです。…お怪我とか、ないですか?」
「あ、あ…あぁ。あんたは?」
「わたしは大丈夫です。それより、驚かせてすいませんでした」
「そりゃ驚いたけどよ……」

 青年がため息とともに、立ち上がる。長い間路上に座り込んでいたのだ。

「その、悪いことしたな。箱……大事な物だったんだろ? 弁償するよ」
「い、いえ、いいんです! その、これ、わたしがあなたにぶつかってしまったから……」
「それでも、原因は俺にもあるんだ。……俺、ステューシア・ランダース。あんたは?」
「…あ、アリエッタです。……ホント、ごめんなさいです……」
「いや、いいんだよ。それより……」

 青年が彼女の手を取る。驚いたように目を見開いたアリエッタが、助けを借りて立ち上がる。
 人の流れはいつしか自然な速さに戻っていた。現金なものだ。
 
「さ、まだ市は開いてるはずだし。もし同じ物がなかったら、同じくらいの別物でもゆるしてくれよ。な?」
「……で、でも……」
「あのな、俺の持ち物は何も壊れてない。けど、あんたの持ち物が壊れちまった。それなら、弁償するのが筋ってもんだろ?」
「………あ、あの……」
「ほらほら、早く行かないと市が閉まってしまうぞ。行こう」

 手を取ったまま、青年はすたすたと早足で歩き始める。アリエッタは、泣いたことと恥ずかしさで顔を赤くしながら、青年の後をついていく。
 
「で、どこで買ったの? その酒」
「……えっと、あっちの角の向こう側のお店です……」
「どれどれ……お、開いてる開いてる」

 手を引かれたまま、半ば混乱した頭でアリエッタは追従していく。目の前で、店主と話をしながらアリエッタが買ったのと同じ商品を買い求めている青年を、彼女は呆然と眺めていた。

「……あぁ、それ、最後の一本が残ってるよ」
「へぇ……みろよ、アリエッタ。最後の一本だってさ」
「あ、は、はいです……」
「じゃ、おじさん、それ下さい。幾ら?」
「……銀貨15枚だよ」

 やりとりを眺めながら、アリエッタの手は相変わらず青年の手の中にあった。その手の大きさと、奇妙に柔らかい感触が彼女の混乱を助長した。

「……ほら、アリエッタ。これで、お互い恨みっこなしだぜ?」
「…………あ、あの……」

 アリエッタが申し訳なさそうにステューシアが掴んでいる手の方を見る。と、ステューシアがあわててその手を離す。すんでのところで、投げ捨てそうになった箱を再び掌中に収める。

「とと、あぶねぇあぶねぇ。すまないな、なんかこう、夢中で掴んでたから……」
「い、いえ、その……ありがとうです。……これ、いただいていいですか?」
「もちろんだよ。アリエッタの為に買ったんだからな」
「……ありがとうございますです……。えっと、ステューシア様、また今度お礼するです」
「よせやい。ステューシアでいいよ。それにお礼なんて気にするな」

 ステューシアはそういいながら、手を頭の上に置いて、なで回す。

「?!」
「……元気だせよ。な、アリエッタ。また縁があったら会おうぜ」
「あ、…………あの………その…………」
「それじゃな。元気でな。それと、もう転ぶなよ。最後の一本なんだからな」
「………あ……」

 言葉が出ないまま、アリエッタは青年を見送る。握られていた右手が奇妙に熱く、彼女は何度もその手と青年の背中が人混みに紛れて見えなくなるのを見送っていた。
 
「……なんだ、お嬢ちゃん、転んだのか。気をつけるんだよ? ほら、おまけ」

 店主が声をかけてくる。渡されたのは一枚のハンカチ。
 
(……あ!)

 不意にアリエッタは左手を見る。そこに握られたハンカチは、彼女の物ではない。
 
(しまったですっ……!)

 あわてて駆け出すアリエッタ。店主がうんうん、と何度もうなずきながら一人ごちる。
 
「……いいねぇ。青春ってのは駆け足だよ。うん」

「……メスロン」

 普段は滅多に彼を呼ぶことのない、リリスの声がメスロンを呼ぶ。
 
「……どうしたんだい?」

 街角のカフェテリアの片隅で陣取っているメスロンが、すぐそばのリリスに向き直る。
 
「……人間って……なんでこう単純なのかしらね」
「は?」
「……まったく……」

 あきれたようなリリスのため息。話についていけないメスロンが、何度も首を傾げていたが、やがて口を開く。

「つまるところ……リリス。人間は単純な生き物なんだよ、うん」
「……判ったようなことを……」

 彼女はため息とともに、目線を転じる。彼女の頭の中には、『ターゲット』になる少女に戯れる、青年の姿が何度も反復して現れていた。
 ……そう。彼女は……『ターゲット』の一つなのだ。それなのに。
 グラスを呷ると、彼女は目線を空へと、星が浮かび始めた空へと転じた。
 



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