その日は、特に寒い日だった。
いつ雪が降ってきてもおかしくない空模様。見上げれば、灰色一色に染まった空が見えたことだろう。
だが、誰も空を見上げたりしなかった。不景気な色合いの空を眺めたところで、何か得るものなどあるわけもなかったのだから。
日が昇って間もない時間。まだ、薄暗い空を見上げてる余裕など、ほとんどの人間には無かったはずなのだから。
「……ったく、タルい仕事だぜ」
ゼクスは一人ごちる。ついさっきまでの、暖かい布団の感触を思い出す。柔らかなあの感触とは当分お別れだ。
タニス村までの行程は長い。そして、ちょうどそこを通過する馬車の護衛の任務がある。その仕事を受けることで路銀と安全の確保、それに『暗殺』という任務を帯びた人間が『彼(ターゲット)』…ゲイツの耳に入りづらくするためのカムフラージュでもあった。
ふと、ゼクスは物思いに耽る。仕事を持ち帰った昨夜のことを思い出していたのだ。
……ゼクスは仕事を持ち帰った。不名誉で危険な、『暗殺』という仕事ではあるが。
その仕事の話をしたとき、一瞬テキサスの顔が曇る。が、やがておもむろに一枚の羊皮紙を取り出した。
「……これは、馬車護衛の任務だ。危険な割に給料は明示されてないので、無視しようと思っていたんだけどな」
「オレの持ってきた仕事よりは数倍ましだよ」
「だが、好都合な部分があるのだ。この仕事の行き先を見て見ろ」
テキサスが差し出した紙片を手にすると、そこには見慣れない地名と、いくつかの条項が書かれているのが見て取れる。
「……アパレンタイズ? 聞いたことねぇな」
「俺の記憶が正しければ、たしかこの村のすぐ近くのはずだ。…タニス村ってのはな」
「ホホウ。まるでオレ達のために用意されたような仕事だな。だがな、オッサン…」
「いいじゃないか。路銀も稼げるし、何よりこの仕事は食事付きだぞ?」
「……オッサン……」
ゼクスが遠慮がちに口を挟み、テキサスが顔を上げるまで次の言葉をためらう。
「……なんだ、ゼクス。一体どうしたんだ? お前さんらしくない。言いたいことがあるならさっさと言ったらどうだ?」
「あのよぉ、この仕事…な、暗殺なんだよ。不名誉で危険だし…いいのか?」
「いいのかって、何がだ?」
ゼクスは黙ってテキサスを見る。テキサスがにやり、と笑う。
「…ったく、お前らしくないな。俺は最初に言っておいたはずだ。俺は巻き込まれてるんじゃなく、つきあってるんだとな。お前がそう決めたんなら、俺は人殺しだってなんだってするんだよ」
「………オッサン……」
「さっさと用意しろや、バーバリアン。今日中に出さないと締め切られちまうぞ」
その言葉とともに、テキサスとゼクスは立ち上がったのだ。
目の前の荷馬車に荷物を積む人足達が恨めしげにゼクス達を眺める。護衛のための冒険者達は、荷物運びなど手伝う必要はないのだ。
すぐそばで、テキサスが装備の点検をしているのが判る。神経質なカチャカチャという音が、ゼクスのいらだつ耳を刺激する。だが、これも冒険者として必要なことだ。
レイア・ティス・テリアとシャール・コーブルもまた、彼らと同じ馬車を眺めていた。ただ、シャールが眺めていたのはたき火にかけられた携帯用のケトルであり、そこから湯気が吹き出すのを待っていたのだ。
レイアは、人足に混じって一人の少女がパタパタと走り回っているのを眺めていた。
見たことのある少女。たしか、宿屋で給仕をしていたはずなのだが……。
「……人間で言うところの……奴隷、かしら? 何にせよ、働き者であることはたしかだけど……」
レイアの独り言はシャールには届かない。シャールは今や湯気を噴きだしているケトルと格闘しつつ、彼女の楽しみの一つであるハーブ・ティーを入れていた。
「………旅支度……? 気になるわね……。同行するのかしら」
レイアが再び呟く。今度はシャールに届いたのだろう。不意に手を止めると、レイアのそばに寄ってくる。
「ね、どしたの?」
「……ごらんなさいな」
レイアが指差した先には、薄紫のメイド服に身を包んだ少女の姿があった。奇妙なことに、その制服(?)の上から、旅支度となぜか大きな『箒』を背中に背負っていた。
「……何、あれ?」
「何かしらね……」
「なんかさ、箒、おっきく見えるよ。ドワーフかグラスランナーの子供かな?」
「……一応、人間みたいよ」
「……えっくしっ!」
アリエッタがくしゃみをすると、そばの人足が振り返って笑う。
「おいおい、風邪引いたかね? 今日はちょっと寒いからな」
「い、いえ、大丈夫です。あと、どのくらいあるですか?」
「もう終わりだよ。お嬢ちゃん、もう手伝いはいいよ。本当、助かったよ」
「……いえ、そんなことないです。大したこと出来なくて…」
「あんた、冒険者の従者かい? おっきな箒背負ってるねぇ」
「……あ、これ、わたしの武器なんです」
「武器?」
「こうみえても、わたし、冒険者なんですよ」
「………??」
怪訝な顔をして首を傾げる人足。だが、そんな対応にも彼女はもう慣れていた。だから、いつもと変わらぬ笑顔のまま、仕事を続ける。
人足もいつまでもそんなことにこだわっている場合ではない。彼自身もまた、同じように仕事に戻る。
レイアはしばらくその光景を眺めていたが、やがて背後のシャールを振り返った。ちょうどいい感じのハーブ・ティーの香りが鼻孔をくすぐったのだ。
「レイア、ちょうど入ったよ。いいタイミングだね」
「そうね」
そのままティー・カップを受け取る。野外で使うものは陶磁器などではもちろんない。金属で出来た味気ないものなのだが、意外とこれが使いやすい。味は明らかに落ちるが、決して馬鹿には出来ない代物だった。
「ふぅ……」
シャールがカップに息を吹きかける。その息に押されるように、湯気と香気が周囲にたゆたう。
静かな空気の中、人足たちのかけ声と足音だけが響いている。
……だから、その言葉は彼女たちにはっきりと聞こえてきたのだ。
「……間違いない。俺のダチもその戦いで死んでしまったんだ」
「レイベンの新兵器だって? 連中、そんなもん開発してたのか…」
「何にしても、クレア王妃様がお亡くなりになったんじゃ、イシュタリアも黙っていられないだろうよ」
「あぁ、何でも国軍あげて報復するらしいぜ。……また戦だよ…」
クレア王妃。その言葉が耳に入ったとき、レイアとシャールはまるで電気に討たれたかのように反応した。
「……ちょっとその話……聞かせてもらえない?」
シャールの声は低く、まるで凍り付いたかのように抑揚はなかった。
うわさ話をしていた冒険者たちが一瞬顔を見合わせる。
「……あいのこが一体何の用だ?」
人間とエルフは不仲であることが多い。エルフからすれば人間など粗野で下品な存在だし、人間からすればエルフの言動は傲慢で狭量で不遜だった。
だが、両者に共通して存在する感情があるとすれば、それはハーフ・エルフに対する嫌悪であろう。
自分の同族の血と、不仲な相手の血を半分ずつ引いている存在は、両者にとって憎しみの対象となりうる。その結果、ハーフ・エルフ達は常に迫害の対象となるのだった。
……まさに、今彼ら冒険者達がとった様な態度を、人間とエルフの両方からとられるのだ。、
「教えて。クレア様がどうしたの?」
「…ったく、図々しいあいのこだな。王妃様はお亡くなりになったんだよ」
「……どうして?」
シャールが食い下がる。男達はまるで何かに押されるかの様に数歩後じさる。…が、やがて一人がため息とともに声を出した。
「クレア王妃様は、暗殺された。レイベンが送り込んだ化け物に殺されたんだ」
「ば、化け物?」
「あぁ。メイドと衛兵も殺されたらしい。詳しいことはわからないが、人の形をした化け物で、剣を受け付けなかったらしい」
「………クレア………様が………」
魔術士風の男は、そこまで一通り話すと首の付け根を拳で叩いた。まるでその話をすることでひどく疲れた、と言わんばかりに。
「……お前達は、王妃様と関わり合いがあったのか?」
「フェーブル事件はご存じ?」
レイアがシャールの後ろで立ち上がると声を発する。
「フェーブル事件……アリシア様が人質に取られた、あの事件か?」
「おまえ達、まさかあれに関わってたのか?」
「………そうだよ。そのとき、クレア様には本当に親切にしてもらえたんだ。……あんた達みたいに、あたし達ハーフ・エルフを差別する連中の中で、クレア様だけはあたし達の味方になってくれたんだ」
シャールの声が震える。目尻にはもう涙がたまっているのが見えた。魔術師が居心地悪そうに咳払いすると、目をそらす。
「……そ、そうか……。あの時の冒険者はほとんど全滅だって聞いてたんだが…」
「えぇ、訪れた冒険者はほとんどが亡くなったわ」
「…確かに聞いたことがあるな。エルフとハーフエルフの二人組と、五人組の冒険者が生き残ったと」
戦士とおぼしき、体の大きな男が訳知り顔で歩み出る。が、レイアの冷たい声がその歩みを阻んだ。
「生き残ったのは、五人組のうちの二人だけよ。私達が生き残れたのは、クレア様が直衛に私達を選んでくださったから…」
レイアがため息をつく。あのとき、クレアは彼女たち二人を指名して直衛に選んだ。それは、多くの人間の反感を買う行為だったが、結果として彼女たちは命を落とさずにすんだのだ。いわば、命の恩人である。
冒険者達は彼女たちに背を向けて去っていった。荷物の積み込み作業は終わり、いよいよこれから護衛たる彼女たちの出番がくる。
シャールもレイアも、馬車に集まり始めた冒険者達を眺めていた。本来なら、あの中に自分達も居なければならない。はずなのだが……。
「……シャール、先に行って」
「レイア……」
「大丈夫。仕事までには戻るから」
そう言い残してレイアは踵を返し、走り去った。残されたシャールが、冷えてしまった紅茶のカップを無言で傾ける。紅茶の水面に、一滴、また一滴と水滴がこぼれる。
「……レイア……。いつもならそんな風に思わないけど……ずるいよ……」
頬を伝う涙が冷たく冷えていくのを感じると、シャールはやるせない気持ちでその場を片づけ始めた。
もう、時間はそんなにない。レイアが戻ってくる頃にはすぐにでも出発できるようにしておかなくてはならないのだから。
「……おい、ゼクス」
テキサスの声が背後から聞こえ、ゼクスは物思いからさめた。ちょうど旅支度を調えたテキサスが、ゼクスの荷物を差し出していたのだった。
「そろそろ集合だ。……俺達の本当の仕事はその先にあるとはいえ、この護衛の仕事も気を抜くと命を落とすぞ」
「あ、あぁ……」
ゼクスは立ち上がる。無意識に弄っていたショートソードの切っ先をさやに収めると、すでに数十人が集まっている馬車の停車場へと向かう。後ろからはテキサスがゆっくりとした足取りで追随する。
馬車に近づくと、長身の戦士が二人の顔を確かめるようにのぞき込んできた。
「……名前は?」
「ゼクス・グランバスとテキサス」
「……真ん中の馬車だ。急げよ」
その戦士は顔や首筋など、見える場所にはびっしりと浅い傷跡があった。おそらく、幾度も戦いに参加した傭兵なのだろう。
二人が馬車に乗り込むと、御者がじろり、と彼らの姿を見た。が、大きくため息をついて再び前に向き直る。
「おいおい、なんだよ、オッチャン。不景気な顔してるんじゃねぇよ」
「不景気にもなるわい。こんな馬車の御者になるなんぞ、不幸以外のなにもんでもないわい」
「そんなに怖いのか?」
「あぁ。護衛の姿を見てみるがいい。あからさまにこの馬車は『おとり』だぞ」
言われるままに振り返ったゼクスは、そのまま前につんのめった。馬車が急に発進したからだが、ゼクスがちょうど背後を振り返ったとたんにそうしたあたり御者の悪意が感じられなくもない。
無言で振り返ったゼクスをよそに、御者は馬車を前の馬車に続けて走らせ続けた。
「……ったくよぉ。何だってんだよ」
「ゼクス……俺もあのオッサンと同じ意見だ。……これは…」
そこでテキサスが言葉をつぐむ。
その馬車の荷台には、おそらく食料品と思われる革袋が大量に、乱雑に積み上げられていた。空いた空間に、5つの影が見えた。
ゼクスは御者のすぐ後ろ、荷台の先頭の部分に立っていた。そして、彼の右手の先にはテキサスがあぐらをかいて座っているのが見える。
そのさらに向こう側には、最初一つの影が見えていた。漆黒の、闇色の髪が風になびいている。ほっそりしたシルエットから容易に女性だと想像出来た。
よく見るとそのすぐ隣りに、もう一つ人影があるのが見て取れる。
それは、人足の手伝いをしていて、この間は酒場の手伝いをしていた、あのウェイトレスのような少女だった。
巨大な(相対的に)箒を背負って座っているのだが、隣の黒髪の女性に比べてもまだ小さいのがわかる。
左手の先には、エルフが二人座っていた。いや、片方の耳がすこし短い感じがする。おそらく、あれがハーフ・エルフという種族なのだろう。旅から旅を続けてきたゼクスにとっては、ハーフ・エルフの存在に対して嫌悪感よりむしろ好奇心の方を強く感じていた。
「……なぁ」
「あん? なんだ、ゼクス」
「オッサン……この馬車、護衛いねーじゃん…」
「居るだろうが。周りに座ってるのが護衛だよ」
「って……マジかよ?!」
「……だから言っただろうが。……こいつぁ……」
ため息とともに、ゼクスがテキサスのそばに座り込む。馬車が激しく揺れると、そのたびに彼の尻が割れそうになる。
「ぐあっ……ってぇ、なんだこの座り心地の悪さは」
「乗り合いの客用馬車じゃないんだ。贅沢言うな」
「っていってもよぉ……これじゃケツが4つに割れちまうぜ…」
ぶつくさ言うゼクス。その光景を見てくすくすと笑っている声が聞こえ、彼は憤然と立ち上がった。
「おいおい、誰だ、人の不幸を見て喜んでるやつぁよ!」
「あ、あうっ、ご、ごめんなさいですっ…」
少女だった。例の、パフスリーブとヒラヒラのエプロンドレスの。見慣れているような、そうでないような、黒髪の女性の隣りに座っていたあの小さな少女だった。
「おい、そこのヒラヒラしたねーちゃん、いい度胸じゃねぇか。このゼクス・グランバス、バーバリアンで16歳の不幸を笑うたぁよ?」
「おいおい、ゼクス、よさんか。それじゃまるでチンピラかゴロツキだぞ?」
「ふん……ったく、何がおかしいんだよ」
「え? だ、だって、お尻が四つに……うぷっ…あははっ」
再び笑い出したアリエッタを見てゼクスとテキサスが顔を見合わせる。
「なぁ、オッサン……おもしろいか?」
「………わからん」
毒気を抜かれた体のゼクスが首を振って座り込む。相変わらず激しく揺れる馬車が彼を振り落とそうとする。
振り返ると、さっきの少女は意外と身のこなしが軽いことがわかる。揺れる床にあわせて巧みに身体を揺らし、傾きすぎないようにバランスをとっている。
隣の女性はむしろ落ち着いて座っている。旅慣れた態度から、それなりに経験を積んだ冒険者ではないかと思わせる。
「……ちぇ」
「ん? なんだ、ゼクス?」
「…オレ様が鈍くさく見えるのはどうにも我慢ならねぇ」
「……??」
首を傾げるテキサスをよそに、ゼクスも巧みに身体を傾けてバランスをとる。快適とは言えないまでも、なんとか落ち着いて乗っていられる位にバランスをとると、安心したのか大きくのびをしてテキサスに声をかける。
「オッサンよぉ、この辺りそんなに物騒なのか?」
「あぁ、物騒だな。北東の軍事国家レイベンと北西の宗教国、イシュタリアが戦争してるのはしってるな?」
「あぁ、それくらいはな…」
「この辺りは両者がぶつかり合う戦場なんだ。アパレンタイズもタニスも、フォルトランド領なんだが、戦闘に巻き込まれて村人の食料も十分にない」
「……フム」
「で、馬車でこうやって送り込むんだ、食料やら生活必需品をな。あと……」
「………武器……か」
「そう。武器と傭兵。馬車の中に人間の乗る乗り合い馬車っぽいのがあるだろ?」
そう言ってテキサスが先頭の馬車を指さす。鉄で補強した装甲馬車が、重い足取りでよたよたと進んでいく。
「ま、アレはレイベン軍の馬車の模倣だがな。アレを使って十人程度の傭兵を送り込む。せめて、夜盗化した落ち武者どもからは守ってやろうって配慮だ」
「それなら、フォルトランドの軍隊がニラミ利かせて戦争自体を押さえてやればいいじゃねぇか」
「それは上手くないな。下手をすればレイベンとイシュタリアの戦争にフォルトランド自体が巻き込まれかねない」
「巻き込まれてもいいじゃねぇか。軍隊が動けば戦争ぐらい起こるだろうしな。戦力的には十分な訳だし、レイベンぐらいなら相手にしてもてんで怖くもねぇだろうが」
「…レイベンには、最近『化け物』がいるんだよ」
「……化け物?」
「あぁ。……剣も矢も受け付けない、化け物がな。その所為でイシュタリア軍は随分と苦戦してるらしい」
テキサスが腰を動かす。一瞬馬車が石の上に乗り上げて乗っている人間すべてを振り落とそうとする。さすがに慣れてきたのかゼクスはその揺れをなんなくやりすごす。
「しかしオッサンよぉ……。一体どこからそんな情報仕入れてくるんだ?」
「そりゃ、俺だって冒険者歴は長いんだ。それなりに情報源ってのはあるもんでな」
「……そっか」
「時々は『ギルド』のくれる情報より有益なのがあったりするぜ。侮れないんだよ、酒場の情報ってのはな…」
「酒場かよ……オッサンらしいぜ」
不意に馬車が急停車する。さすがにこの動きは予測していなかったので……御者はまさにそれをねらったのだが……乗っていた全員がバランスを崩す。
ゼクスはといえば、重いテキサスの身体に玉突き的に吹っ飛ばされ、御者の横の地面に顔から着地する羽目になる。
「………休憩だよ」
「……………」
もはやゼクスも何も言う気がせず、地面にうつぶせに寝転がったまま手を振った。
休憩、と言っても長い休憩ではない。食事をとるのにあの揺れる馬車の上ではとれない。さすがの御者も例外ではないらしい。
荷物の革袋の一つをあけると、御者は適当なものを見繕ってまた御者席へと戻る。護衛の冒険者達はめいめいが用意した食料を手に取ると、そのまま車輪の側や適当な木陰に移動する。
いつのまにやら、日は高く昇っていた。この時期の太陽は正直頼りないことこの上ないのだが、それでも高く昇った日は周囲を暖かな空気で包んでくれる。
「……あの御者も大したものだな」
「旦那様、大丈夫ですか?」
「あぁ、エッタ、お前は大丈夫か?」
「はいです。あのくらいは慣れてます。でも……」
「……ん?」
「…頭打ったです……」
「……やれやれ。よっぽど私たち冒険者に恨みがあると見える」
笑いながらアリエッタの頭をなでてやる緋黒なのであった。
馬車の一群はゆっくりと歩を運ぶ。日が暮れ、周囲が薄暗くなると山道また山道のこの行程を進めるのは不可能になる。
馬車を脇道に止めると、それぞれの馬車の御者は『乗客』に今日の行程の終了を告げる。
ここからが彼らの本当の『仕事』なのだ。
結局、見知らぬ同士の小さな集まり……『パーティ』と呼ばれる……は、それぞれ協議して休憩と歩哨(見張り)の順番を決める。
シャールとレイアはスペルキャスターの権限を主張し、最初の歩哨に立つことを求める。ゼクスもテキサスも『紳士らしく』その要求を認める。さらに紳士的なことに、アリエッタと緋黒に最後に寝るように指示をした。
誰がリーダーと言うわけでもない。が、良い提案をされる分には断る理由もない。真夜中に起こされ、中途半端にしか眠れない、間の歩哨が一番辛いのだから。
「……ねーちゃん達、あんたらの番だ」
「……あぁ」
すでに起きて準備を整えている緋黒。彼女は普段の寝起きこそ悪いが、旅をしている間はとぎすまされたナイフのように眠りをばっさりと切り捨てることが出来る。
アリエッタは元々眠りは浅い方だ。かくして、ゼクスとテキサスは起こす手間もなく交代をすますことが出来る。数分後には眠りについている。タフな彼らとて疲れてはいるのだ。
「……旦那様、それじゃ、見回りしてきますです」
「気をつけるんだぞ、エッタ」
アリエッタは一人で『武器』の箒を両手に握りしめる。身体の前に横棒の形に持ちながら。
柄の先端部分には鉄製の『石突き』がついている。彼女自身は軽く持っているが、堅い樫の木と、中に鉄製の芯棒が入っており、重量もずっしりとある。振り回せば、下手なメイス(棍棒)などよりは遙かに威力のある代物である。
道沿いに、身を低くして音を立てないように移動する。十数分も歩いた頃、ふと行く手に人影が見えると、アリエッタは歩みを遅くする。
「……誰か」
低い声は男性のものだった。片手をあげながら、アリエッタは合い言葉の最初の一言をつぶやくような声で言う。
「夜空の星の瞬きは」
「我らが足下を照らす灯」
相手が片手をあげたのを確認してから、ゆっくりとアリエッタは男に近づく。別の馬車から出た歩哨に出会うと、こうやって合い言葉でお互いを確認してから引き返すことになっている。
「……なんだ、子供じゃないか」
「…一応、成人してるです……」
「そ、そうか。ま、こっちは異常なし。そっちは?」
「異常なしです。森の方をみてから戻ります」
「あぁ、ご苦労様」
踵を返すと、アリエッタは道を横断し、そのまま反対側にある森を見る。木々の合間から見える闇は、巨大な獣のあぎとの様にアリエッタを威嚇する。
大きく息を吸って、それから吐いて。漆黒の闇のすぐ側は空気の温度すら違うようで、アリエッタはぶるっと身震いする。
どのくらい歩いただろうか。ようやく見えた馬車の黒いシルエットを見て、ほっと安堵のため息をつく。
…ガサッ。
その音を聞き逃さなかったのは、あるいは彼女の幸運かもしれない。足を止め、ゆっくりと森の方を振り返る。
小動物なら良い。それなら、再び音がするはずだ。……森の奥へと逃げていく音が。
だが、音はますます近寄ってくる。音に混じってかすかな声…人間の言葉とはほど遠い、獣のうなり声を組み合わせたような、声が。
(……これは……コボルドか何かです……)
アリエッタが身体をそちらに向ける。今や、月明かりに照らされた茂みがあからさまにがさがさと動き始めているのがわかる。
徐々に声は大きくなる。アリエッタは脳裏を探り(彼女は知識神ラーダに使える神官でもある)、その言葉が『ゴブリン語』と呼ばれるものであることを思い起こす。
ゴブリン語を使うのはコボルドとゴブリン、あるいはそれぞれの上位種であるホブゴブリンかハイコボルド……。
数が少なければ大した相手ではない。そして、会話の感じからすれば、せいぜい2、3体程度だろう。おそらく、馬車に積まれた食料を求めてやってきたに違いない。
(……追い払う方が得策です……っ)
すっと構えを変える。今や石突きを前に突き出し、槍のように箒を構え、アリエッタは声を出した。
「去るです。食料を分け与える訳にはいかないです!」
果たして、彼女の目前に一体のゴブリンが現れる。そしてもう一体。さらに一体。
アリエッタの声に反応したのか、口々にぶつぶつと意味不明な言葉をつぶやきながら、ゴブリン達が歩み寄ってくる。
「去りなさいっ!!」
アリエッタはゴブリン語と言うものを習ってはいたが話すことは出来ない。声を張り上げて箒を構えなおしたとたん、それは起こった。
アリエッタはそれなりの冒険はこなしてきてはいる。戦いになればゴブリンなど敵にもならないほどの技量を持ってはいた。
……相手が数体なら。
目の前に二十体近くのゴブリンの姿が見えたとき、さすがに彼女の肝は冷えた。そして、その登場と同時に凶暴なうなり声とともにゴブリン達が一斉に彼女に飛びかかった。
機先を制してアリエッタの箒の先端が一体のゴブリンの胸元を突く。よろめいて倒れたゴブリンが、後続のゴブリンの足を鈍らせる。
とっさに身を翻すと、そのまま馬車に向かって走る。そこが一番近い『味方』のいる場所なのだ。
「旦那様っ!」
「エッタ!!」
アリエッタが走ってくる姿と、その背後から赤く光る目が追いかけてくるのを見かけると、緋黒は素早く武器をつかんで走り寄る。
「エッタ、ほかのみんなを起こしてくれ。頼む」
「わかりました……っ!!」
戦いになれば、緋黒はめっぽう強い。アリエッタより遙かに長い間戦いの中に身を置いたためだ。アリエッタが馬車の背後に消えると同時に緋黒は道の真ん中で十数体のゴブリンと対峙する。
「……さて。……久々に本気で戦わせてもらうぞ」
緋黒の声がすごみを増す。数体のゴブリンが躊躇いがちに足を進める。
「キィーッ!!」
最初の一体が緋黒めがけて飛びかかる。その軌道を読むと、素早く足を運びつつ彼女の武器、長刀を一閃させる。
ざんっ!!
鈍い音とともにゴブリンの右肩から先が切りとばされる。
地面に倒れ、苦悶の悲鳴を上げながらのたうつ姿を見た他のゴブリンが、怒りの声とともに一斉に緋黒に斬りかかる。
最初のゴブリンは緋黒の左側面へと走りより、鋭い爪で切り裂こうと試みる。が、それは愚かな行為だった。左上段に構えた長刀が、なんなくその一撃を受け止め、はじき飛ばす。細い手足からは想像もつかない膂力だった。
もう一体が逆の側面から飛びかかる。その攻撃は、さっと身体を前傾させた緋黒に回避される。と、長刀の柄がゴブリンの顎をとらえ、ゴブリンがもんどり打って地面にたたきつけられる。
前傾させた身体をそのままに、一気に地面を蹴った緋黒が今まさに飛びかからんと身構えていたゴブリンの側を駆け抜ける。何もわからないまま、そのゴブリンが地面に倒れる。その遺体をひっくり返せば胸元がばっさりと切り裂かれていることを知ることが出来るだろう。
その行為自体は危険な行為だった。今や緋黒は前後左右をゴブリンに包囲された状態にあった。続いて機先を制さなければ彼女は背後や側面という、脆い部分をさらすことになる。
だが、彼女は素早かった。目前の群を殺気で制しつつ、地面を蹴って身体を右に流す。予想外に急接近してきた緋黒の身体を避けようとしたゴブリンは隣りで身構えていたゴブリンに身体をぶつけて諸共に転ぶ。それを見越した緋黒が、倒れたゴブリンを飛び越しざまに顎を踏みつける。
ぎゃっ、と悲鳴を上げて白目をむいたゴブリンをよそに、緋黒は次の群へと身を躍らせる。
今や、ゴブリン達は漆黒の髪をした死神を目の当たりにしていた。振り返りつつ、長刀の刃を群に向けると、その群が数歩後退する。
殺気を絶やさぬようにせねば。彼女は軽く息をつく。まだ敵の数は随分と残っているのだ。
気を抜けば一斉に飛びかかってくるだろうし、数の多い相手に機先を制されてしまえばいかな彼女といえど無事には済まない。だが、この程度ならそうそう機先を制されることもないはずだ。
……そう、この程度の相手なら。
「キィーーッ!!」
叫び声が聞こえる。ひときわ数の多い群の向こう側に、ひときわ身体の大きなゴブリンが居た。木の葉や枝を、まるで装飾品の様に身体にくくりつけてる。
あれがボスか……。彼女はそう見て取ると、頭を刈る作戦を採ることにした。
「……行くぞ!」
低い声で脅しをかけ、一気に群との距離を縮める。思惑通り、その群は彼女の鋭鋒を避けて左右に散る。その先には、さっきの身体の大きなゴブリンが居るはずだ。
だが、異変はそこに起こった。ボスのゴブリンとの距離を一気に縮めるべく、地を蹴るはずの足が、不意に何者かに掴まれる。
地面に倒れ込んだ緋黒は、己の迂闊さを呪った。ゴブリンは人間より精霊に近い存在であり、中には精霊魔法を使うものもいる。
……そう、今彼女を見下ろしているゴブリンの様に。
「ちっ!!」
大地の精霊魔法『スネア』によって転かされた彼女は、それでも軽い身のこなしで素早く身体を起こす。武器が数歩先に転がっているが、迂闊にそれを拾いに行こうものなら周囲のゴブリンが一斉に襲いかかってくるのは目に見えている。
一歩。また一歩。
「……不覚だった……な」
徐々に後退する緋黒。徒手空拳ではさすがに戦うのは厳しい…。そう思っている間に一体が飛びかかってくる。
「なめるなっ!!」
鋭い爪の先を避け、手首を掴むと相手の勢いを利用して別の群の方へと放り投げる。
「ギャアッ!!」
「キキィッ!!」
悲鳴が起こり、群が数歩後退する。今だ!!
彼女はすっと身体を滑らせると地面に転がった愛用の長刀をさっと掴む。が、構える寸前にその周囲の地面が盛り上がる。
「同じ手を二度も食らうかっ!」
地面を蹴ってその盛り上がりをやり過ごし、掴んだ長刀を抱えるように身体を前転させて地面を転がる。
肩や腕が石片の角に切り裂かれる。血がにじむが、かまわずに彼女は飛びかかってきたゴブリンを横なぎに払う。わずかに力が入ってなかったのか、地面にたたき落とされたゴブリンはむっくりと身体を起こす。
「……ちっ……」
ゴブリンシャーマンが手を動かし始める。もし次に隙を見せたら……額に汗がにじみ、流れ、頬を伝って地面へと落ちる。
「……旦那様ぁっ!!」
声が聞こえたのはそのときだった。