6.悪意6−1.悪夢「……おい」顔を上げた彼女の目の前に、細長い鞭が差し出される。 哀しそうにその鞭を見つめる彼女の頬に、それは無情な刃のように押し当てられる。 「……立て」 「………」 無言のまま、彼女はゆっくりと立ち上がった。 粗末な衣服。両手首を繋ぐ木製の縛め。 左足首についた足かせは、鎖で壁に繋がれている。 ここは奴隷小屋。悪名高いドレックノールの奴隷小屋なのだ。 「……相変わらず愛想無しだな。おい」 「………」 「ふん。罰を受けて少しでもおとなしくなったかと思ったが……」 「…………」 うつろな目で看守の顔を見上げる少女に、看守は苛立ったように鞭を振りかざす。 「……今回、売れなかったらお前はもう『クズ奴隷』だ。……『処分』されても文句は言うなよ」 「…………っ」 びくっ、と身体をすくめる少女。 ようやく引き出したその反応に看守が満足そうに笑みを浮かべる。 「……ふん。やっとビビってきたか? クズ奴隷の処分は良い客寄せだ。お前も少しは俺の役に立って貰わないとな」 ぱしっ!! 鞭が壁を叩くと、少女の身体がそのたび、びくっ、とふるえる。 「……よし……。せいぜい媚を売るんだな。売れなきゃお前もそこまでなんだ」 足枷の鎖を外し、手枷につなぎかえると男は彼女を引きずるように室外へと連れ出す。 もう外では客が群れなして待っているのだ………。 ……………… ふと、緋黒は側で身動きする気配を感じて目を開けた。 白々と月明かりに照らされた馬車が目に入り、毛布にくるまった自分の身体が目に入った。 空気が凛と冷えて、彼女の頬を刺すように過ぎていく。 「………?」 振り返ると、背中合わせに眠っていた彼女の友人が、丸くなって毛布から飛び出していた。 眠りながら、両手を握りしめてふるえているのを見てふと不安にかられ、彼女はそっと毛布を彼女にかぶせてやる。 触れた肌が冷たく冷えており、それなりの時間彼女は寒空にさらされていた事が解る。 「……寝相の悪い……」 つぶやいた緋黒の声に反応するように、彼女の身体が少し身じろぎする。 「あ……う……」 何かを堪えるような、低いうめきと共に目尻から涙がこぼれるのが見える。 悪い夢でも見ているのだろうか? ふるえる身体に、自分の身体を寄せると冷たく冷えた肌をそっとさすってやる。 こうして面倒を見てやるのは、随分久しぶりのような気がした。 ……………………………… 「……オッサン」 「なんだ?」 相も変わらず中番の見張りをしながら、ゼクスは革袋の酒に口を付ける。 「……暇だな」 「それがいいんだ」 「ゴブリンも出ないな」 「それがいいんだ」 「寒くなってきたな」 「それがいいんだ」 「……会話する意志はあるか?」 「さぁ、どうだろうな」 今度はテキサスが酒の革袋に口を付ける。 意味のない会話をしながら酒をあおる。普通なら許される態度ではないのだが、この馬車護衛の任務について3日目には彼らはこの態度をとっていた。 不服がある訳ではない。 単に寒さが厳しいだけなのだ。 温暖なフォルトランド地方とはいえ、山岳地帯も多い北部は冷える。まして、冬も近いこの時期には、いつ雪が降ってもおかしくはない。 そうなれば楽なのだ。雪が降るとゴブリンもオークも、魔物達は巣穴に引きこもって雪解けを待つ。 だが、この時期、魔物達は活発に動く。凶暴なまでに。 食料を求めて……あるいは暖を採る場所を奪われないように……。 子を持つ者達は子らを護るために。こういう営みはすべての生き物に共通であろう。 「なぁ、オッサン……」 「なんだ?」 「この辺りの森にはよっぽどすごい魔物が住んでるのか?」 「そんな話は聞いてないな」 「……だよな」 ゼクスの革袋が煽られる。 テキサスが片目を閉じてゼクスの方を見やる。 「……なんだ、ゼクス、何か気になるのか?」 「……いや……あのな、御者のオッサンなんだけどよ……」 再びゼクスの革袋が煽られる。 いつになくペースの速いゼクスを、寸時心配そうにテキサスが眺めていたが、あごをあげて続きを促した。 「なんか妙に怯えてる。ブツブツ訳のわからん事をつぶやいてるんだ。次はこっちだ、とか目立つと終わる……とか」 「……目立つと?」 「ああ。なんかすごい化け物が、目立ってる馬車を襲う……? 馬鹿な」 再びゼクスが革袋を煽ると、不機嫌そうに眉をひそめた。 「………なくなった」 「そりゃそんだけペースはやければ……な」 「……ちっ。馬車の中に予備があったかな……」 「よせ。この時間に馬車をあさったりしたら嬢ちゃん達に殴られるぞ」 「……それもごめんだな」 ならず者達の相手もうんざりだが、エルフとハーフエルフの二人組や、黒髪の女性を相手にするのはもっと骨が折れそうだった。 「……しかしよぉ、俺の若い頃はよぉ……」 「…………」 突っ込みを入れたくなるのを必死で押さえながらテキサスが耳をそばだてる。 「……冒険者っていうと、男の仕事だったんだよなぁ……」 「それは同感だが……」 未だに突っ込むべきかどうか悩みながらテキサスが答える。 「エルフねーちゃん達は解るんだよ。精霊使いと魔術師。若く見えて実は結構年寄りだってのも、俺は知ってる」 「……聞かれたら殺されるぞ」 「黒ねーちゃんも合格だ。この間の戦いっぷりを見た感じ、割と戦えそうだ。だが……あのお供のヒラヒラねーちゃんはダメだ」 「……ダメだって? 神官は嫌いか?」 「教会で祈ってる神官なら解るさ。だが、戦場に出るのにはあまりにも不自然だと思わないか? あの服装とか……」 「それは解らないでもないが……」 テキサスは視線を遠くに向ける。 暗闇を見通す力があれば、小さな生き物が生活を営む姿が目に入ったかも知れない。 だが、今の彼の酔眼にはただ茫漠たる闇だけが映っていた。 「……まぁ、人それぞれさ。あのねーちゃんも案外強いのかもしれないぞ」 「冗談言うなよ。アレより数倍屈強なねーちゃんがオークの群に嬲り殺されたのを見たこともあるんだぜ?」 「見かけで判断するもんじゃないぞ。それに、神官戦士の力は確かに頼りになるさ。応急手当よりずっと早く止血してくれる。痛みも止めてくれる」 「……便利なんだな」 「限界はあるし、体質によっては効きづらいヤツもいる。だが、少なくとも致命傷の状態からかろうじて命を取り留めるところを何度も見た」 ゼクスが感心したように頷く。 いつもそうだ。彼は、テキサスが冒険の話をするとその顔をして何度も何度も頷く。 出会ってもう何年になるだろうか……? そのゼスチュアだけは未だに変わらない……。 「ま、何にせよ、彼女の力が必要になるときが来るのは間違いないさ。特に俺みたいな戦士はな」 「ああ」 言葉がとぎれる。 いつもと同じような見張りだった。何も変わらない……。 「……ま、とりあえず一つ仕事を終えたら後は……」 「次の仕事が待ってる。……本来はそっちのために受けた仕事なんだしな」 「……ああ………そういえば……」 「うん?」 「そういえばそうだったな。忘れてたよ」 「忘れるなよ……」 「ま、それが終われば少しの間ゆっくり出来そうだし。いつもと同じように……」 「まずは宴会だな」 「ああ。いつもと同じように……な」 彼らは、少しだけ間違っていた。 6−2.襲撃(1)御者が再び馬に鞭を入れると、重々しく馬車は走り始める。ささやかな小隊は、しかしここで分断されることとなる。 「………オッサン?」 「なんだ?」 ゼクスが御者に声をかける。テキサスが片目をあけたが、彼に対する呼びかけではないと知って再び目を閉じる。 「……なんであの馬車はあっちに行くんだ?」 広場をでてすぐの三叉路で、先頭と、三番目に走っていた馬車がコースを変え、離れていくのが目に入ったのだ。 先頭のは装甲を施された、傭兵達の乗る馬車。三番目は武器を満載した馬車だと、ゼクスは思い出した。 「おい……」 「この先の橋が落とされてるんだ。掛け替えた橋は細くて脆い」 「………」 「だから、重い荷物を抱えた馬車はあっちを通る。食料や薬を積んだこの馬車はこのまま直進する」 「……危なくないか?」 「相当危ないさ。……橋の手前ぐらいでそれが見える筈だ」 「………それ?」 「当たりかはずれか……どっちかだ」 それっきり御者は黙り込んでしまう。 ゼクスは、その御者の緊張感が彼や、同乗している全員に感染していくのを感じ取る。彼自身の頬にも、冷たい汗が流れる。 徐々に馬車はなだらかな坂を登っていく。必然、前方視界は悪くなり、ぴりぴりした雰囲気が徐々に高まっていく。 目を側方に向けると、装甲した馬車と武器を積んだ馬車が同じような坂道を登っていく。 あちらは比較的整備されているようで、揺れも遥かに少ない。 「……不公平って気もするぜぇ……」 苛立ったようにゼクスがつぶやいた。 ……それが合図だったかのように、『それ』は目に入った。 最初にその兆しを見つけたのは、シャールだった。 半ば伏せていた顔が、突然弾かれた様に上がると何かを叫びながら指さす。 反射的に、全員が彼女の指さす方向を見やる。……馬車に向けて、一筋の光弾が迫ってくるのを、彼ら全員が見た。 「やっぱりこっちが狙われてやがるっ!!」 御者が叫ぶや、馬車を引く二頭の馬を巧みに操って馬車を制御する。粗末な道から外れた馬車が荒れ地に乗り上げる。 走っていた道路に光弾が着弾し、目映い光を発して周囲を炎で焼き尽くす。 「……『火炎弾』の魔法っ?!」 シャールが叫ぶ。彼女の持つ魔法書に記されていた魔法の一つ、着弾すると爆発を起こす光弾を放つ魔法だった。 「……マナよ、我が言葉に集いて、我らを守る盾とならん!!」 シャールの詠唱と共に、全員……馬車全体を覆うように、かすかな光の粒が収束する。 「なななっ、これも攻撃か?!」 「違う、ゼクス、これは抗魔法障壁だ。味方の援護だ!!」 ゼクスに向けてテキサスの声が飛ぶ。 彼が振り返ると、詠唱を終えて必死にまた馬車に掴まっているシャールの姿が見えた。 と、馬車が大きな岩をすんでの所で回避し、再び道路へと戻る。 「くっ!!」 「きゃあっ!!」 振り落とされそうになりながら、緋黒とアリエッタが必死で馬車にしがみつく。 「……あ、あれ!!」 シャールが叫ぶ。もう一つの街道を走っている馬車に、光弾がまともに命中したのだ。 武器を積んだ馬車は装甲も施されていない、普通の荷馬車だ。重たい武器を積んでいる分、普通より動きは鈍くなっている。 「なんてこった、両方襲われてるのか!!」 「おい、オッサン、こっちとか両方とかって、何を訳わからないコトを……」 「いつもは襲撃は片方の街道だけなんだ。それなのに、今回は、今回は……」 馬車が大きくバウンドする。元々粗末な道を、かなり高速で走っているのだ。跳ねる馬車から荷物の袋が一つこぼれ落ち、地面にたたきつけられて中身をまき散らす。 と、シャールが再び指さす。 彼女には、魔力の迫る方向を知る、魔術師のみが持つ感覚が備わっているのだ。 「……右から来るっ!!」 「右っ!!」 シャールの言葉をゼクスが御者に中継する。馬車が少し左に進路を変える。 流石に今度はコースアウトする様なことは無かった。 そして、わずかに馬車をかすめた光弾が地面に着弾して爆発する。 普通ならこの爆風で馬車は焼かれる筈だろうが、抗魔法障壁はその魔力の炎を完全に防いだ。 「ノヤロゥ、反撃出来ないのかよ!」 「敵が見えないのに反撃出来るわけないだろう!!!」 再び、武器を積んだ馬車に光弾が命中した。 それは御者席を吹き飛ばし、乗っていた御者が悲鳴を上げて火だるまになりながら地面にたたきつけられ、少しのたうった後で動かなくなった。 「……い、いけないっ!!」 「よしなさい、シャール!! 今はこっちを守ることに専念しなさい!!」 「でもレイア、あのままじゃ御者さんが………」 「もう遅いわ……」 レイアが馬車の側板を掴む。指先が白くなるほど掴んでいるのを見て、シャールが諦め顔で再び意識を集中する。 直撃を受けた馬車がコースアウトし、岩にぶつかると軋んだ音を立てて急停止する。 乗っていた冒険者達のほとんどはその衝撃で地面にたたきつけられたが、動く者は一人も居なかった。 「………こんどはこっち!!」 「どっちから!?」 「えっと、正面っ!!!」 叫び声と共にシャールが再び前方を指さす。 太陽の光に紛れて見づらい状態で、一筋の光弾が真っ直ぐにこちらに飛んでくる。 「敵は一体どこから襲ってきてるんだ!!!」 叫びながら、ゼクスは短剣を取り出して光弾に向けて投げつける。が、不安定な足場故か、光弾を直撃するには至らなかった。 「っ!!」 御者が言葉にならない悲鳴を上げる。と、荷台から放たれた二筋の矢が光弾を直撃し、光弾は馬車の数メートル手前で爆発する。 「ひぃっ!!!」 馬がいななき、御者はそれでも必死で馬を制御する。 爆風の熱を少し感じたものの、全員が無傷で通り抜けられたのも抗魔法障壁のおかげだろう。 ゼクスが振り返ると、荷物の上に腹這いになってしがみついたレイアが、クロスボウに次弾を装填しているところだった。 「……た、助かるぜ、エルフねーちゃん……」 「いつも、こう上手く、行くとは、思わない、で………」 荒い息を吐きながら、レイアが答える。 ゼクスが親指を立てて、歯を見せる。が、レイアはその仕草を無視して前方を睨む。 そして彼女はその瞬間を捉えた。 「………頂上の横の茂み………あそこよっ!!」 光の弾丸が、再び彼女の指さした場所から放たれる。一度上昇して、曲線を描くように彼女らの馬車に向けて光弾が走る。 レイアが指にクォレル(矢)を挟んだまま、クロスボウの狙いをつける。が、大きな轍を踏んだ馬車が大きく揺れ、彼女は射撃の機会を逸してしまう。 「きゃっ……シャール!!!」 「任せてっ!! マナよ、光り持つ矢となりて……きゃああっ!!」 馬車が大きく揺れる。まるで悪意を持った大地の精霊が、彼女たちの邪魔をするかのように。 「おい、オッサン、後ろのねーちゃん達が迎撃出来ないだろうが、もっと揺れないように走れ!!」 「あの橋を越えたら、あの橋を越えたら………」 浮かされたようにつぶやく御者は、ゼクスの声など聞いては居なかった。 目を向けると、今まさに光弾は馬車に命中しようとするところだった。 「掴まれ、全員、掴まれ!!!!」 ゼクスの叫び声。テキサスが、レイアが、シャールが、そしてアリエッタと緋黒がそれぞれ必死の形相で馬車の各部を掴む。 直撃を受ければ、おそらくこんな馬車は粉々になるだろう。 そう思ったとき、不意にその光弾が消え失せた。 「………え??」 シャールも、テキサスも、そして緋黒も、誰もが一様に顔を見合わせる。 「……今……何が??」 レイアが不審な顔で周囲を見渡す。 まるで最初から無かったかのように、光弾は消え失せたのだ。 6−3.襲撃(2)「………?!」理解出来ぬまま、彼らは橋にさしかかる。 数瞬後には彼らは駆け抜けるだろう……そして、その先は安全な筈である。 ……御者の言葉を信じるなら。 だが、もう一台の、遥かに重たい重装甲の馬車は彼らほど機敏ではなく、そして彼らほど幸運では無かった。 光弾の一つが馬の一頭を貫通し、御者台の半分を吹き飛ばし、御者の肉体と鉄の装甲を粉々にした。 馬がどう、と倒れ、そのまま馬車は傾き、脆い床面をむき出しにしてひっくり返った。 車内に詰めていた武装した男達は、訳の分からぬままにひっくり返った馬車の中で恐慌状態に陥っていた。 後部ハッチに取り付き、歪んだ車体の所為で上手く開かないハッチを蹴り開け、なんとか脱出したのは、軽装の戦士……あの、シャール達をいたぶっていた男達の一人だった。 爆発が連鎖する。光弾が次々と着弾し、身動きのとれぬ馬車を痛打する。 最初に脱出した、軽装の戦士は、爆風に吹き飛ばされ、体中を火だるまにしてのたうった。 それ以外の者達の半数は脱出に成功し、爆風をなんとか避けて脱出した。 脱出出来なかった者もいた。 シャールとアリエッタをいたぶっていた残りの男達も、その中に居た。 最初に馬車が転倒した時、彼らの上に重たいベンチがのしかかって来たのだ。 太った男と魔術師は着弾した光弾の爆発で跡形もなく消え去った。 戦士は、腹にぱっくりと空いた穴から内臓があふれ出し、周囲の装甲の熱で焼かれていくのを為す術もなく眺めながら死んだ。 「……あ………あ………」 シャールが怯えたような声をあげながらレイアにしがみつく。 脱出した男達を見ていた彼女は、あまりに惨たらしい光景を見ることになったのだ。 脱出した男達が、馬車から離れると同時に『それ』が文字通り『舞い降りて』来たのだ。 黒光りする鱗に包まれた、恐ろしいまでに見た目の邪悪な『人形』。 のっぺりした顔に、赤い、単一の目。両腕の先端には、5本の鋭い爪が生えていた。 いびつなまでに両腕の長いそれは、見た目からすると恐ろしく短い『脚』を驚くほど素早く動かし、男達の前に風の様に移動した。 赤い、単一の目が光り、文字通り死地から脱出した傭兵達の前に立ちはだかり、……そして……。 「……エッタ、見るな」 緋黒はアリエッタの頭を抱き寄せる。ふるえる彼女の頭を抱きながら、自分自身の胃が反乱を起こすのを必死で抑えていた。 それは、文字通り『虐殺』だった。あるいは、屠殺といっても良かった。 傭兵の一人は、長い腕で首を掴まれ、引きちぎられた。 その光景に畏怖した男が背中を向けて逃げ出したが、直後に背後から、鋭い爪に胸を貫かれて死んだ。 剣を抜いて斬りかかった者も居た。 一撃が胴体に入り、一瞬揺らめいた巨体は、しかし傷を負うことも無かった。 第二撃が頭部を狙ったが、難なく爪がそれを受け止め、逆に傭兵の頭部を横薙ぎに吹き飛ばした。その男の胴体だけが、剣を構えたまま数瞬の間立ち尽くしていた。 皆殺しだった。ほんの3,4分の間に……。 「……お、オッサン……」 「ああ、アレを相手にしたくはないな……」 「あ、ああ………」 ゼクスが生唾を飲み込む。 両手が白くなるほど、馬車のフレームを握りしめている事も、彼には気にならなかった。 ただ、目の前の光景が悪夢であって欲しいとそれだけを願っていた。 だが、燃える馬車のきな臭い臭いと、風に乗って来る血と死の臭いは紛れもなく現実だった。 彼はそれを思い知りながら、危なっかしい橋を渡る馬車に乗っている事を心から感謝した。 馬車が橋を越えるまで、御者は何も言わなかった。 「………メスロン」 その光景を眺めていたメスロンの耳元に、リリスが声をかける。 襲撃を一望出来る、少し離れたところにある高い木の枝の上での事だ。 「……今のはリリスかい?」 「何のことかしら?」 「……あのケースだと全滅だと思ったんだけどね。どういう訳か、魔法がかき消えた」 「………ああ、そういう事」 「珍しいね。君が肩入れするなんて」 メスロンの態度は慇懃だったが、表情は皮肉に満ちあふれていた。 「……そうね。珍しいし、何故そんな事をしたのか解らないわ。けど……」 リリスが寂しそうな声で続ける。 「……けど、彼女たちは必死だったから……」 「………」 メスロンが口を閉ざす。 血の臭いときな臭い臭いは彼らのところにも漂ってくる。 「……リリス……」 「……何?」 「ステューシアは脱出したかな」 「さぁ。この程度で死ぬようじゃ、そこまでの人って事ですわ」 「今までにない、厳しい襲撃だったからね」 「……そうね」 言葉がそこでとぎれる。 彼らはただ、無言でその光景を眺めていた。 燃える馬車を見下ろす『人形』と、その側に現れた、『人形』の上半身だけを馬車に乗せたような物体……(彼らはそれを『戦車』と呼んでいた)。 ……そして、その側に闇色のローブを纏った姿が現れるところを。 ゼクスがもしその姿を見たらあっと驚いただろう。 ゲイツ。 闇色のローブ。やや突き出たあごと、人のそれよりは長い耳。 エルフにはない濃い色彩と、人間にはない繊細さを備えた種族。 その姿を見た時、メスロンがかすかに身じろぎする。 リリスがため息を付いて、メスロンを冷ややかに見やる。 「……解ってるさ、リリス」 「ならいいのですけど」 怒りに満ちたメスロンの視線に見守られながら、ゲイツは黙々と撤収作業を続けていた。 『人形』は、遺体を武器の積まれた馬車に放り投げ、その馬車の残骸を引きずって歩いていく。 装甲馬車には一瞥もくれず、馬に繋がれた『戦車』が、ゆっくりと視界から消えていく。 ……行き先は解っているし、そこに今から誰が行くのかも解っている。 「……行きましょう、メスロン。『彼ら』より早く村に入っておきたいわ」 「村に入るのか?」 「ええ。……今回で終わりにしたいんでしょう? それなら……」 答えを待たずに、メスロンが動き始める。 リリスは、その姿を目を細めて眺めながら、軽やかな身のこなしで、木の上から姿を消した |